私は、雑誌や漫画の編集・ライターをしています。
そして同時に、実家の家業も手伝っています。
実家は木工業を営み、テーブルや棚などの
木地を作ることが主な仕事です。
創業者は祖父。
現在は婿養子に入った父が社長を務めています。
私が継げば三代目、ということになります。
私が実家を手伝おうと思ったきっかけは、
父のある一言。
「婿養子にまでなって継いだけど、俺の代で終わりかぁ」
その言葉は、誰に向けられたものでもなく、
本心がポロリとこぼれた独り言でした。
幼い頃から両親には、
「家は継がなくていい。好きなことを仕事にしなさい」
と言われて育ち、
その言葉通り私は東京の大学へ進学。
夢だった漫画に携わる仕事をしていたのです。
東京で生活をしている時も、
実家や地域の地場産業である
漆器業界全体が衰退しているのは、
なんとなく感じていました。
後継ぎがいなくて途絶えていく漆器屋、
人口が減り続ける故郷。
自分も東京へ出て行った身ですが、
そんな現実を寂しく思っていたのです。
継がなくていいと言われていたけど、
本当は継いでほしかったのかもしれない。
父の独り言を私は聞き流すことができず、
その日からずっと心のどこかに引っかかっていました。
家業を途絶えさせてしまっていいのだろうか。
東京で生活を続ける私の頭の中は、
そんな問いでいっぱいになっていました。
何年かの自問自答の末、
「木曽漆器のために、私にできることをしたい!」
という思いに駆られ、
会社を辞めて家業を手伝うことを決めました。
現在私は、長野と東京を行き来して、
何か新商品はできないか、
どうやって宣伝したらよいかを考える日々。
しかし、これがなんと難しいことか……。
「もう漆器は売れない」
「いまの時代には合わない」
「高い家具は売れない」
社長である父は、
どうやって今残っている材木を使い切るか、
従業員に迷惑をかけずに、会社を縮小していくか。
そんなことを考えているようでした。
実家を手伝う、継ぐという選択は、
もしかしたらとんでもないものだったのかもしれない。
三代目になる前に、会社がなくなるかもしれない。
そんな不安と後悔が、頭をよぎりました。
父の独り言で入る決意を決めたのに、
この有様ではどうしようもないじゃないか!
父よ、どうしてくれるんだ!
と、父を恨んでもみたものの、
やると決めたのは私。
木曽漆器のために頑張ると決めたのは私。
職人でもなければ、営業の経験もない私が、
木曽漆器のためにできること。
そのことをじっくり考えたとき、
私自身、木曽漆器のことをちゃんと知らないのでは…。と気付きました。
漠然と良いものということはわかるけれど、
具体的に何が良いんだろう。
まずは私自身が木曽漆器について知るため、
「塩尻・木曽地域地場産業振興センター」というところに行ってみました。
(つづきます)