- 糸井
- 操上さんの同期っていうと‥‥。
- 操上
- 篠山紀信、沢渡朔(さわたり・はじめ)。
ま、ふたりとも
ぼくよりはちょっと年下だけど。
- 糸井
- ええ。
- 操上
- 当時、篠山紀信は日大だったんだけど、
重森さんの話を聞きたくて、
掛け持ちで写真学校に通ってきてたよ。
- 糸井
- 熱心な人だったんですね。
- 操上
- 彼には、すごく影響を受けましたね。
遊び方なんかも含めて。
- 糸井
- 篠山さんって、おしゃべりも達者だし。
- 操上
- 落研だからね。
俺、わりとはやくに都会に慣れたけど、
それだってきっと、
いつも篠山さんと一緒にいたからだと思う。
- 糸井
- もともとは、北海道で
裸馬にまたがっていた人ですものね。
操上さん、いつだったか
「俺は馬の背中に立てるんだ」って
断言してたことがある。
- 操上
- 立てるよ。牧場と農業をやってたから。
空知川(そらちがわ)という
大きな川のほとりに、牧場があって。
そこで、馬を飼ってたんです。
- 糸井
- 見ようによっては、大牧場のお坊ちゃん?
- 操上
- いやいや、ぜんぜん、そんなことないよ。
戦前戦後のあの時期、北海道の田舎に
「坊ちゃん」なんていなかったと思うよ。
- 糸井
- そうか。
ハリウッド映画に出てくるような
「大牧場のドラ息子が、ずいぶんなワルで」
みたいなだったのかなあと(笑)。
- 操上
- ま、ワルではあったかもしれないけど。
- 糸井
- そうですか(笑)。
- 操上
- 牧場は大きかったし、貧しくはなかったけど
ぜいたくな思いも、したことはないな。
男6人、女が1人の7人きょうだいで
俺、上から2番目だったからさ、
さっきも言ったけど
下の弟たちを学校に入れてやる役目で。
- 糸井
- ええ。
- 操上
- 中学1年のとき、お袋が死んだんです。
で、親父が厳しくて、
家を汚くしてると「片付けろー!」って。
掃き掃除、拭き掃除、整理整頓、
ぜんぶやってから学校へ行く感じだった。
- 糸井
- 家だって、けっこう広かったでしょう?
- 操上
- うん。だから、ノルマがいっぱいあって。
馬もたくさん飼ってたしね。
でも、それが「ふつう」だったから
いまでも身体を動かす癖が抜けてなくて、
苦にならないんですよ。
- 糸井
- みんなが「はたらき手」として
勘定に入ってた時代ですね、子どもでも。
- 操上
- ま、勘定に入れないとやってられないです。
仕事、手伝い、家族を助ける、
みんなのために、それはふつうにやること。
- 糸井
- そのときのご経験って
いま思えば「よかった」ことですか?
- 操上
- そうだね、よかったと思いますよ。
でも‥‥仕事中にふと顔を上げると、
弟が本を読みながら学校へ通ってるんだ。
- 糸井
- ええ。
- 操上
- その姿を遠くから眺めながら
「いいなあ、いい生活してやがるなあ。
俺なんか
ドロドロになってはたらいてんのに」
とは、いつも思ってましたよ。
- 糸井
- そうか、そうですよね。
- 操上
- あのころは、
学校に通う側と、通わせる側があった。
俺は次男だし、親父も丈夫じゃないし、
俺と兄貴が
はたらかなければしょうがない、
そういう考えで
自分がどこかへ行きたいなんて希望は
口には出さなかったよ。
- 糸井
- ええ。
- 操上
- でも、悶々としたものは潜在してて。
- 糸井
- 「いつか、ここから出てやる」と。
- 操上
- その理由を、待ってたんでしょうね。
下のやつらのケリがついて
「もう大丈夫だな」って思えたとき、
親父に
「俺、写真家になる」って言った。
- 糸井
- そのとき、お父さんは?
- 操上
- 親父は、俺が後を継ぐと思ってたと思う。
俺も馬が好きだったし、土地を分けてね。
でも、親父は「いいんじゃないの」って、
言ってくれたんだよね。
- 糸井
- ああ、そうですか。
でも、さっきも言いましたけど
写真の勉強をはじめてからのスピードが、
ちょっとすごいですよね。
- 操上
- 写真家になってからは、速かったね。
篠山紀信が
どうやって事務所をつくったらいいかって、
ようすをうかがいに来てた。
ほら、俺のほうが先にフリーになったから。
- 糸井
- あ、操上さんが先だったんだ。
- 操上
- そう、雑誌を辞めて、杉木さんのところで
広告を作るようになって‥‥
2年アシスタントして、3年目からフリー。
27、8のときには、助手がいた。
- 糸井
- 24歳で写真学校に入ったんですよね?
ちょっとすごいですよ、それ(笑)。
- 操上
- 俺、学校を卒業するときにさ、
推薦でライトパブリシティの入社試験を
受けてるんだよね。
篠山紀信と俺と、ふたりで。
- 糸井
- 篠山さんと?
- 操上
- そう、でも篠山は
当時、すでに鶴本さんと組んで‥‥。
- 糸井
- アートディレクターの、鶴本正三さん。
- 操上
- ポスターとか、バンバン、
まだ学校にいる間に撮ってたんですよ。
電車の中刷り広告なんかもやってたな。
だから、とにかく慣れてて、うまい。
- 糸井
- ええ、ええ。
- 操上
- で、試験に行ったら、早崎さんが面接官。
- 糸井
- はい、早崎治さん。
東京五輪のポスターを撮った人ですよね。
- 操上
- 早崎さんが写真部のボスだったんだけど、
俺らふたりの顔を見るなり、
「悪いね、今回ひとりしか取らないから」
って言った。
その瞬間に、「あ、篠山だな」と思った。
- 糸井
- 経験もすでにあったわけだし。
- 操上
- おしゃれで洒脱で、一方俺は田舎出でね。
案の定、合格したのは篠山だった。
- 糸井
- そんな篠山さんが
そうとう苦労してたんだっていうお話を
この間、ご本人に聞きましたよ。
- 操上
- ああ、そうなんだ。
- 糸井
- いつもの篠山さんっぽくない感じで、
すごく真面目に、
「俺が生意気で、
みんなから除け者にされてるときに、
和田(誠)さんだけが
きちんと、俺を見てくれてた」って。
あんな篠山さん、はじめてでした。
- 操上
- いやあ、ありがたかったんだろうね。
だって当時って
写真なんか選ばせてはもらえなくて、
「ぜんぶ持ってこい」
って言われて、持ってくでしょ。
そうすると、チラと見て、
使えないのは、ピュッと投げるんだ。
すると、写真が窓からピューンって
どっかへ飛んでっちゃったらしいよ。
- 糸井
- ひどい(笑)。
- 操上
- それでさ、何するんだって怒ると、
「いるんだったら、取ってくれば」って
言われるんだって。
そのくらいいじめられたらしいよ、
当時は、みんなね。
- 糸井
- その時代の、
そういう「ぐしゃぐしゃした感じ」って
すごいですよね。
和田さんなんか、大学を卒業したら
ライトパブリシティに
もう席があって、
アシスタントもいたらしいですけど。
- 操上
- すごいね。
- 糸井
- ドラフトで指名される
甲子園のスター球児みたいですよね。
- 操上
- だから、俺がもしライトに入っていたら、
こういうやさしい性格だし‥‥。
- 糸井
- ええ(笑)。
- 操上
- いじめられて、ダメになってたかもな。
- 糸井
- ケンカしちゃったかも?
- 操上
- 窓から写真を投げられたらさ、
いくらやさしくたって、殴りそうだよ。
- 糸井
- なにせ北海道の原っぱで
荒馬の上に立ってた男ですもんね(笑)。
- 操上
- まあ、ねえ(笑)。
- 糸井
- 時代時代で「カッコいい」のモデルって
変わっていきますけど、
当時は、それが
「アメリカ」だったんじゃないかなあと。
- 操上
- ああ。たしかにね、当時はね。
- 糸井
- だって、土屋耕一さんですら
机の上に、足を投げ出して話してたって。
あれだけ紳士的な人が。
- 操上
- うん。
- 糸井
- だから、窓から写真を投げちゃうってのも
それが「カッコよかった」んでしょうね。
- 操上
- そうかもしれない。
<続きます>