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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-03-27

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「ひとり」でいるということは、とても大切なことだ。
 「ひとり」でいる状況を、しっかり選べるというのは、
 それなりにかんたんなことじゃないし、
 そういう時間が人をつくってくれるという面もある。
 本を読んでいるときだとかもそうだけれど、
 ひとりで食事をしたりお茶を飲んだりしているのも、
 考えごとをしているのも、「ひとり」でいる時間だ。
 これは、いま書きながら思いついただけなのだけれど、
 そういう時間は、樹木でいえば色の濃い年輪の部分だ。

 そして、なお、「ひとり」でいるだけだと行き詰まる。
 息も詰まるかもしれないし、行く道が詰まってくる。
 じぶんひとりで、なんとかやり抜きたいことがあって、
 それをどうしてやりとげたいと思っても、
 絶対「ひとり」のままでやらなきゃいけないわけじゃない。
 だれかと会ってきっかけをもらうこともあるし、
 居場所を変えたり別のことをしたら、
 局面が変わるようなことだってよくある。
 手伝ってもらったり、人と組んで進めたりしてもいい。
 石壁に向かって坐禅を組んでいるわけじゃないのだから、
 「ひとり」が、別の「ひとり」と手をつないでもいいのだ。
 いつも群れていることしかできないのは困るけれど、
 「ひとり」でいることにこだわるのはもったいない。

 ステージにいるジャズメンが、
 「ひとり(ソロ)」のパートを演奏して、
 他のメンバーに後ろに回って支えてもらっていたり、
 戯れのように戦いあったりするのはたのしそうだ。
 「ひとり」のままじゃできないし、「ひとり」でもある。
 サッカーやら野球やらのチームスポーツで、
 ほんとうに微妙な連係プレイなどを見せられると、
 「やってる選手たちは、もっと気持ちいいんだろうな」と、
 うらやましくなったりもする。
 それは、音楽やスポーツではない、
 ぼくらの「ふつうの仕事」でもそうなんだよな。
 びっくりするようなアイディアが、
 じぶんの頭の上に降ってくるのを待っているより、
 「ひとり」たちが顔を合わせて練習や試合をしてたら、
 まったく別の答えがひょいと拾えることも出てくる。
 チームってものをあてにしたら、おもしろくなるんだよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
つまりその、また「Only is not Lonely」の話になったか。


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