なんでも聞いてくださいね。
どんな話を聞きたいの?
(ほぼ日/今回の手帳のモチーフとなった
『明日の神話』と『太陽の塔』が
それぞれどういった作品なのか、
また、どのように作られたかをお聞きしたいです)
ああ、なるほど。
ちょっと長い話になっちゃうかな。
まず知って欲しいのは、『明日の神話』と『太陽の塔』が、
同じタイミングで生まれた双子だということ。
この二作品は同時に構想され、同時に太郎から吐き出された
完全なる双子なんです。
『太陽の塔』が、1970年3月からはじまった
大阪万博のためにつくられたもの、っていうのは
知ってるでしょう?
ことのはじまりは、
太郎が大阪万博のプロデューサーを引き受けたこと。
1967年7月7日に就任会見を開いたあと、
翌日から太郎は2ヶ月の中南米旅行に行ったんですね、
テレビ番組の撮影と取材で。
その間、行く先々で、太郎は
『太陽の塔』についてのスケッチを
描きまくるんです。
もともと創作のための旅行じゃなくて、
テレビの取材と撮影だから、すごく忙しかったんだけど、
空いた時間にホテルの便箋なんかに
手当たり次第にスケッチするわけ。
敏子がそれを集めて、日付のスタンプを打って、
大切に保存していた。
それが7~8年前に見つかったんです。
スケッチは、顔がいっぱいある
トーテムポールみたいなものからはじまって、
徐々に、『太陽の塔』のかたちに
近づいていきました。
帰国4日後の9月8日に描いた最終スケッチを見ると、
もう『太陽の塔』そのもの。
『太陽の塔』の構想は、中南米を巡り歩くなかで
完成したことがわかります。
そして、ここが肝心なところなんだけど、
同じ日に、太郎は
まったく別の作品のデッサンも残している。
それが『明日の神話』です。
この最初の木炭デッサンは、
長さ2メートルくらいのもので、
見るからに速い筆致でワーッと描きあげられている。
その木炭デッサンと、いま渋谷にある30mの壁画とは、
構図も、モチーフも、すべてが同じ。
つまり、『明日の神話』もまた、
中南米旅行のあいだに
完成形ができあがっていたということです。
ふたつの作品は、太郎の頭のなかで同時に構想され、
最終形状がアウトプットされたのも同日。
完全に双子なんですよ。
これがそれぞれが誕生したときのお話です。
次に、それぞれの物語について
お話ししていきましょうか。
『明日の神話』はいま、
無数の人が行き交う渋谷駅のコンコースにありますけど、
もともとは、メキシコシティのホテルの
ロビーの壁画として描かれた作品です。
描いたのも日本じゃなくて、メキシコ。
太郎は何度か現地に通って描き上げました。
だけど、結局この絵は、メキシコで完成したあと
長いあいだ、行方がわからなくなっていたんです。
とつぜん姿を現したのが2003年の秋。
完成から34年後のことでした。
ちょっと長い話になるけど、つづけますね。
(つづきます)