「書く」って、なんだろう?
紙とペンがあればできる
シンプルな行為でありながら、
無数の可能性を秘めている。
「ほぼ日手帳マガジン」で
去年、多くのかたに読まれた
人気コンテンツがかえってきました。
日常的に「書く」ことと
深い関わりをお持ちのみなさん、
「書く」ってどんな行為ですか?

書くってなんだ?

飯間浩明さん(1)
SEASON2 vol.4
飯間浩明

私の手で書いた文字は、
私以外には書けません。

国語辞典編纂者の飯間浩明さんは、
辞書に載せる言葉の例を集めるために、
テレビやインターネット、街歩きなどで
つねに言葉や事象を観察しています。
ふとした時に気になる言葉と遭遇したら、
忘れないように手元の紙に鉛筆でメモ。
Twitterへの投稿や講演会では、
あえて手書きの文字を添えることで、
自分の意見であることを明確にしています。
「書く」ことが何を意味しているのか、
言葉の専門家の視点で考えていただきました。

プロフィール飯間浩明Hiroaki Iima

国語辞典編纂者。
1967(昭和42)年、香川県生れ。
早稲田大学第一文学部卒。
同大学院博士課程単位取得。
『三省堂国語辞典』編集委員。
新聞・雑誌・書籍・インターネット・
街の中など、あらゆる所から
現代語の用例を採集する日々を送る。
著書に『辞書を編む』
『ことばハンター』
『つまずきやすい日本語』
『日本語をつかまえろ!』など。

「言葉をずっと、観察している。」

Twitter@IIMA_Hiroaki

もくじ

手書き文字は「私」である。

ーー
飯間さんは、手書きの文字で
日本語の解説をする画像を
Twitterに投稿することがありますよね。
あの文字のおかげで親しみやすく、
説得力が増している印象があるんです。
飯間
ありがとうございます。
たしかに私は、Twitterの画像に
手書き文字を添えることがしばしばありますね。
これはどうしてかと言いますと、
活字だけでは自分が書いた感じがどうも薄いと
感じることがあるからなんです。
コンピュータのフォントというのは
誰が書いても同じ文字になってしまう。
「私が信念を持って述べているんだよ」
ということを、自分の文字で表したいんです。
SNSは文章だけで顔が見えないので、
コミュニケーションがしにくいですね。
どういうニュアンスで言っているのか、
伝わりにくいところがあります。
140字で、言いたいことの核心を
誰にでも理解できるように書くことは、
相当難しいわけです。
もっと長文であれば、情理を尽くして
順を追って書けるんですけれども。
ーー
連投ばかりするわけにもいきませんしね。
飯間
はい。だから私は、140字で収まらない時には、
手で書いた文字をスキャンして、
長めに述べるということを時々やります。
手書き文字をTwitterに流すときには、
楷書体でなく、「はね」や「はらい」を省略した
漫画的な文字にします。
普段よりもちょっと肩の力を抜いて
書いているように見せているつもりです。
ーー
書き方をあえて分けていらっしゃるんですね。
飯間
私、筆跡を変えるのが趣味なんですよ。
手紙の場合は丁寧な楷書や行書にするとか、
イベントのポスターを作る時には
ゴシック体やナール体を基本にするとか、
訴えかけたいことによって文字を書き分けます。
でも、どんな書体で書いたとしても、
肉筆ならば私の文字になっているわけですね。
私の手で書いた文字は、はばかりながら
私以外には書けないんです、誰ひとりとして。
「これは、たしかに飯間が書きました」と、
紛れもなく自分の意見であるというふうにして、
ツイートをしているんです。
ーー
飯間さんが書いた証しであると。
飯間
図らずも書体の話になりましたので、
もう少しこの話をさせてください。
私はコンピュータフォントも好きですが、
街なかの手書き文字がコンピュータの文字に
駆逐されつつあるのを残念に思っています。
私はよく、辞書に載せる言葉を採集するために
カメラを首から下げて街を歩くことがあります。
たとえば、築地の場外市場を歩いてみると、
あちこちの店に古い手書きの看板が出ています。
ところが、1990年代以降に作られた看板は、
コンピュータフォントを使用したものが多く、
街の景色が味気なくなってきました。
手書き文字だと、たとえば「ほぼ日」のように
同じ文字が続いている場合、
プロの看板屋さんが細心の注意を払って
「ほ」をふたつそっくりに書いても、どこかが違う。
この微妙な差に、人間味を感じるんです。
大通りに手書き看板がもっとたくさんあったら、
歩いていて気持ちがいいだろうなと思うんですよ。
ーー
言葉の内容を観察するだけでなく、
文字も気にされているんですね。
飯間
街を歩いていると、どうしても気になるのでね。
今は地域おこしが盛んで、
古い街並みの景観を保存しながら観光客を呼ぼうと、
いろいろな自治体が努力をしています。
素晴らしい試みですが、街並みを保存するはずなのに、
なぜか看板がコンピュータフォントになっている。
これでは雰囲気が壊れてしまいますよね。
ここはぜひ本職の看板屋さんに書いてほしいのです。
古い時代が舞台のドラマを観ていても、
当時の風景にコンピュータフォントが使われていて、
一気に現実に引き戻されてしまいます。
私が文字オタクのせいで気にしてしまうのですが、
一般の方が注意して見ないような微妙なところでも、
美術さんが頑張って手書きにしたら、
その時代特有の空気感が伝わると思います。
ーー
本物感は細部に出るんですね。
飯間さんは、普段から気になったことを
メモしているのですか。
飯間
はい。テレビを見るときも極力録画して、
気になる言葉の位置にチャプターマークをつけて、
あとでまとめてパソコンにメモします。
録画していない時は、その場でメモ。
たとえば、朝ドラの『おしん』の再放送を観ていた時、
赤木春恵さんが演じる伊勢の網元の女将さんがね、
「おたいはな、(おしんちゃんを)
他人やと思うてへんで」
というふうに言っていました。
「あ、伊勢では『わたし』のことを
『おたい』という言い方をするんだ」
と思ってメモを残しています。
ーー
「わたし」がなまって?
飯間
ええ、そうですね。
私は香川県の出身でして、
香川でも古い人は「おたい」を使っていました。
「あ、伊勢でも言うんだ」ということに気づいたので、
画面を見ながらスマホに音声入力で吹き込みました。
「聞書」と書いているのは、
耳で聞いた記憶で書いているので
細部が違っているかもしれない、
ということを記録しているものです。
ーー
スマートフォンの音声入力で
メモしているんですね。
飯間
録画で観ている時には余裕があるのですが、
メモが間に合わないことがあります。
たとえば、ちょっとチャンネルを変えた時に、
気になる言葉を耳にすることがあります。
たとえば、先日テレビで是枝裕和監督の映画
『海よりもまだ深く』を見ていました。
劇中の阿部寛さんと小林聡美さんの会話に、
(阿部)「フィギアなんてどこのお嬢様ですか」
(小林)「フィギュアです、ギュ」
という台詞がありました。
この時は急いで、目についた紙に
鉛筆でメモ書きをしました。
ーー
フィギュアではなく、フィギア。
飯間
「フィギア」と言っている例は、
過去にも映画のパンフレットなどで
拾っていることは拾っているんです。
『三省堂国語辞典』にも「フィギュア」の項目で、
フィギアとも言うことを記しています。
ただ、辞書に載せたはいいけれど
実際に使われている例が少ないので、
もっと集めたいと思っていたところでした。
そう思った矢先に、是枝監督の映画で使われていた。
「あ、是枝さんが記憶に留めるぐらいには、
『フィギア』という人がいるんだな」
ということが、このメモで確認できるわけです。
このメモをいつ書いたかわかるように、
「2019年10月11日フジ」と書いておきます。
ーー
国語辞典に使うための用例採集では、
気になった言葉、日付、どこで見たかを
メモしているんですね。
飯間
そうですね。
「フィギア」をメモした後、同じ映画の中で、
「グリーンピース入れたら。
グリーンピース、色あれするし」
と阿部寛さんが言うわけです。
ーー
「あれするし」ですね。
飯間
カレーライスを作っているシーンで、
「グリーンピースを入れると色がよくなるよ」
ということなんですね。
ここで「色がよくなるし」と言わずに、
「色あれするし」という言い方にすることで、
リアルな会話が表現されていました。
ーー
意図して入れていないと、
伝わりにくい言葉ですもんね。
飯間
「日常会話ではこういう言い方をするよね」
という言葉を是枝監督はうまく取り入れています。
あわせて次のメモも解説しますと、
「おばあちゃんの家で着させてくれる手作りの着物」
という台詞もありました。
「着させる」とは別に「着せる」という
動詞があるのですが、最近では
「着せる」とあまり言わなくなりました。
ーー
あっ、「着せる」は言わなくなりましたか。
飯間
こういう場合、使わない人が増えましたね。
「すいません、お宅の本を見せてください」ではなく、
最近は「見させてください」と言うのです。
両方とも間違いではないんですよ。
「見せる」という動詞を使うか、
「見る+させる」という語法を使うかの違いです。
ただ、耳にする頻度としては、
「見させてください」が増えている感じです。
さっきの「着させてくれる」にしても、
昔は「着せてくれる」が多かったはずですが、
今は「着させてくれる」という言い方をしています。
ーー
うちの3歳の娘がまさに、
「服を着させて」と言いますね。
つい「着せるでいいんだよ」と
注意をしてしまうのですが。
飯間
どっちも悪くはないんです。
「着させて」のほうが、じつは使いやすいんですよ。
たとえば「参加させて」などと同じ形になります。
「着させて」「見させて」「連絡させて」
「来させて」「食べさせて」とかね。
「‥‥させて」のほうが圧倒的に勢力が強いので、
「着せる」という専用の動詞をわざわざ使わなくても、
多数派の「着させて」に合わせたらいいじゃないか、
という変化が今、起こりつつあるわけです。
ーー
変化のまっただ中だったんですね。

(つづきます)

第2シーズン

第1シーズン

photos:eric