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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-07-16

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「身体が痛いとか、凝るとかいうのは、
 基本的には使いすぎか使わなすぎなんです」
 とトレーナーの某くんが言ったことを、思い出す。
 ま、ぼくの場合だと、よっぽどのことがないかぎり
 「使いすぎ」で筋肉痛になるということはあんまりない。
 ジムである程度意識的に強い運動をした場合はともかく、
 日常生活での「使いすぎ」はほぼありえない。
 そうなると、「使わなすぎ」のほうである。
 これはもう、ものすごく思い当たるのだ。
 じぶんばかりでなく、周囲の「ほぼ日」乗組員諸君、
 デスクワーク中心の生活をしている人たちは、
 たとえば肩甲骨まわりを動かしているようすはない。
 立って歩くことや、走ったりすることもほぼないだろう。
 「使わなすぎ」などと言われるまでもなく、
 ほんとに、なんにも使ってないのである。
 そして、背中や腰や、肩甲骨まわりや、肩や首が、
 こわばっていたり痛んだりしている。
 「少しは意識的に動かそう」とかしているくらいでは、
 実のところ、ぜんぜん足りないんじゃないだろうか。
 ぼく自身については、週に二度ほどの運動があるので、
 まったく動かさないというわけでもないのだが、
 日常的に身体を「使ってない」ことは気になっていた。
 やっぱり、恒常的に「なまってる」感じがあるのだ。

 ところが、この三連休の間、
 山だとか森だとかいうようなところを、
 あまり目的もなく歩き回っていただけなのに、
 すこぶる体調がいいのだ。
 疲れてはいる、そりゃ凸凹の地面をたくさん歩いたし。
 樹木やら川やらを目に入れながら歩いている間は、
 なにか悩みがあるわけでもないし、
 さしせまった予定もないから、脳内が澄んでいる。
 それはそれで「脳のほうの使わなすぎじゃないのか?」
 という考え方もあるかもしれないが、それはないな。
 森を歩くのにだって、脳は使ってる。
 使いすぎではない、というだけのことだろう。

 そんなことを東京に戻って思いつつ、
 いまの5倍くらいは歩くといいんだろうなとか考える。
 それをするには、暑すぎるしなぁと、すぐに気づく…。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なんか心身ともに「使う」ような生活は、あると思うんだ。


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