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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-04-04

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「あっそうか、順序が逆だよな」と思うことがある。
 前からよく考えていたのが
 「ナマコを最初に食べた人間はえらい」という話で。
 あるとき、それは順序が逆だぞと思うようになった。
 あんなキモチわるいものを、よく食べたってことだろうが、
 ナマコを「キモチわるいから食べない」と思っている
 そういう人間の感じ方のほうが、歴史的には
 あとから生まれたものだと思うんだよね。
 もともと、人の祖先たちは食べられるものは、
 なんでも食べていたんじゃないだろうか。
 それはもうね、犬を見てればわかる。
 そのなかから、「これはやめといたほうがいい」
 というものを食べないようになった、毒キノコとか。
 やがて、食糧がある程度確保できるようになって、
 人間がぜいたくなことを言えるようになってから、
 「ナマコきもちわるい」という人が現れたと思う。
 もともと自然に食べていたんだよ、きっとナマコだって。

 そういう「逆じゃなかったのかい理論」でいうと、
 赤ん坊はどうしてかわいいのかという問題も、
 そういえば逆だったんだよな、と思う。
 「赤ん坊をかわいいと感じるように、人はできている」
 ということなんだろうと思う。
 生まれた赤ん坊の世話をしないと、人間は絶えちゃうし。

 うん○は、どうして臭いのかについても、
 同じように、順序が逆だったんだよということだ。
 つまり、うん○のにおいに「いい悪い」はない。
 これを「臭い、いやだ」と感じるから、
 人間は、うん○から離れて生活を営んでいるわけだ。
 うん○から距離を保つことで、
 ある程度衛生的な環境をつくっていられる。
 そういうことなんじゃなかったろうか。

 身体を傷つけると痛い、というのも、
 人は痛いと感じるようにできているからだ。
 なにがあっても痛くない人がいたら、危険すぎるだろう。
 身体的な意味だけじゃなく
 「気が弱い」とか「疲れる」という感覚も、
 ほんとうは、うまく活かしたほうがいいんだろうな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
微生物でも人間でも、「快・不快」がすべての基本だよなぁ。


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