第12回 TAROの遺伝子たちへ。
「教祖だって? ふーん。
だとしたら、信者の一人もいない教祖だね」
『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』(小学館)より
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糸井 |
岡本太郎記念館には、
太郎さんも生きてそこにいるし(笑)、
ほんとにいい場所ですね。 |
敏子 |
あのお庭もいいでしょう?
みんな、青山にこんなお庭があるなんて!って
びっくりしますよ。
芭蕉でもヤツデでも、
みんな巨大になる。 |
糸井 |
あの場所、なにかがありますよね。 |
敏子 |
神秘的な力があるかんじなのよ。 |
糸井 |
今後、この「なんだ、これは!」という連載で、
これからの「岡本太郎」や
若い遺伝子が集まってくると
思うんですけど。 |
敏子 |
いっぱいいますよ。
みんなそれぞれのやり方でやってますから、
岡本太郎だって喜ぶに違いないわ。 |
糸井 |
だれでも自分の心に、岡本太郎。
これは、時代がどうのこうのって
いうんじゃないと思うんです。
要するに、やっと気づいたというか。
大きな意味で、
ほんとに豊かになってきたんですよ。 |
敏子 |
そう。でも、まだまだよ。 |
糸井 |
まだですね。
敏子さん、休むヒマないね、これから先。 |
敏子 |
ないの 。 |
糸井 |
とくに、あの、
メキシコの大物拾っちゃったからね。
引っ張ってこなきゃなんないから、太平洋を。 |
敏子 |
大丈夫、この細腕は強いから。 |
糸井 |
壁画を運ぶとしたら、
タンカーみたいなやつがいいんですか? |
敏子 |
うん、だと思うんだけど。
飛行機に乗せられれば
いちばんいいんですけどね、
あの大きさでは乗らないし。
海ってのは、波があるでしょ?
保護しなくちゃいけなくて、
けっこう難しいらしい。 |
糸井 |
日本に持ってくるとして、
30mの絵を、どこに置きましょう? |
敏子 |
岡本太郎は、
広島市現代美術館で展覧会をやっていた、
その途中で亡くなったの。
急遽、その展覧会は
追悼展っていうふうに看板を掛け替えた。
そしたらもう、館長さんが
「事故が起こるかもしれないと、
生きた心地がありませんでした」
って言うほど、
日本中から人が殺到しちゃったのよ。
そして、その館長さんが
「最後の展覧会をやらせていただいて、
最初の追悼展をやっていながら、
1点もオリジナルを持ってないのは
恥ずかしい」
って言うのね。
何度も口説かれるんだけど、
岡本太郎は絵を売っていないから。
でも、広島現美には、
壁画を飾るような壁がないらしい。 |
糸井 |
意味的には、広島に
あの壁画が置かれるべきだよね。
‥‥アメリカに置くって手もあるけどね。 |
敏子 |
それもいい手ねぇ。
スミソニアンなんて、どうかしら。
あそこには広い壁があるから。 |
糸井 |
メキシコからアメリカに運ぶ。
そこに日本人が見に行くっていう(笑)。 |
敏子 |
ああ、それは考えなかったなぁ。
‥‥でも、ほんとは、広島に置きたいわね。 |
糸井 |
理想は壁画用の建物が建つことなんですよね。
箱モノって、やたらつくるのに
こういうときにはつくんないもんだね。 |
敏子 |
ほんとに、ほうぼうで
「30mの壁、どっかになぁい?」
って言ってるんだけど(笑)。 |
糸井 |
そのプロセス、楽しいね。 |
敏子 |
若い人でも、
「千円ぐらいならぼくにも協力できますから、
寄付させて下さい」
なんていう人もいっぱいいるし。
そういうふうに、
みんなのささやかな力、情熱を集めて、
持ってくるのがいちばんいいと思うのよ。
やりたいわ。
これから、全国民運動を巻きおこすからね。
糸井さん、手伝ってね。 |
糸井 |
うん、やる。 |
敏子 |
今日は、糸井さんとこれだけ
おしゃべりできてよかったわ。 |
糸井 |
ありがとうございます。
これからも「なんだ、これは!」は
遺伝子たちによって続きますからね。 |
敏子 |
はい、よろしくおねがいします。
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