はじまりのごあいさつ。

永田泰大(ほぼ日)

まさか、こんなことになるなんて。

そもそもそれは、
オリンピックをとてもたのしんでいたぼくらが、
オリンピックをとてもたのしんでいるからこそ、
ときどき、真剣に言い合っていたことでした。

「オリンピックは4年経ったら
自動的に開催されるというものじゃない。
開催される平和な世の中があり、
それを開催しようという人々の意思があって
はじめて行われるものなんだ。」

それは、1980年に開催された
レークプラシッドオリンピックの実況のなかで、
NHKの西田善夫さんがおっしゃったことで、
ぼくはそのことばを
刈屋富士雄さんから教えていただき、
たくさんのオリンピック好きが集まる
この「観たぞ」の場所でお伝えしました。

オリンピックで遊ぶぼくらは、
オリンピックで遊ぶからこそ、
遊び場のことを知っておいたほうがいい。
たくさんの愉快なやり取りが行き来する
この場所で時折共有するそういった真剣な話は、
たのしさのなかにすっと差し込まれるからこそ
真剣に受け止められたとぼくは思っています。

ご存知のように、いま、
世の中も、人々のこころも、そろっていません。
まさか、こんなことになるなんて。

2年前からぼくらは
東京で開催される特別なオリンピックをテーマに
コンテンツをつくってきました。
なにしろ17年前のアテネオリンピックから
冬季も含めて2年ごとにオリンピックを
存分にたのしんできましたから、
さあ、自国開催をどうたのしもうか!
と張り切っていたのです。

大手メディアがやるようなことを
同じようにやってもたぶんかなわない。
自分たちにできることはなんだろうと考えて、
ぼくらはオリンピックの準備をしている
現場のみなさんを取材することにしました。

ボランティアを募る人たち
会場の電源やインフラを確保する人たち
競技や練習の全日程を決める人たち
ドーピングを検査する人たち
ピクトグラムをデザインした人
飲食のサービスを担当する人たち
そしてそういう取材の
手配をしてくださった広報の人たち‥‥。
たくさんの生の声をぼくらは聞きました。

あるいは、他のメディアの方たちといっしょに、
オリンピックの企画を考えたこともありました。
というのも、うれしいことに、
ぼくらがオリンピックのたびに
盛り上がっていることを
いくつかのメディアの方がご存知で、
「東京オリンピックに合わせて
一緒になにかしませんか?」と
お声がけいただくことがあったのです。

にわかファンのにわかファンによる
にわかファンのためのオリンピックコンテンツ、
というのが「観たぞ」の合言葉のひとつでしたが、
そんなにわかファンの集まる遊びでも、
17年も続けるとプロも注目する場になるんですね。

小さなものから大きなものまで、
いろんな遊びが企画されました。
「こういうものはどうですか?」と
ぼくらも真剣に提案したりしました。

そして1年前、2020年に開催されるはずだった
東京オリンピックが延期になったとき、
関わった人たち全員が呆然としたのです。
ぼくらも、わけがわからなくなりました。
いろんなことが一旦保留になりました。

「観たぞ」をどうしていいのか、
正直、ぼくもよくわからなくなりました。
自国開催なんだから、
なんとか現場からレポートしよう!
なんて意気込んでいたのですが、
なにができて、なにができないのか、
ほんとうにわからなくなりました。

いろんなことを保留にしたまま時間は流れ、
1年後の夏が近づいてきてました。

「観たぞ、東京オリンピック!」を
いつもどおりのかたちでやろう。

そう決めたのは、最初の告知でも書いたとおり、
このオリンピックがこれまでに例のない
「観に行けないオリンピック」になったからでした。

もともとぼくらはオリンピックを
テレビやネットの中継でたのしんできました。
「いまこそ、自宅で!」というキーワードができて、
むしろ悩みは晴れた気がしました。
これまでどおりテレビの前から「観たぞ」をやろう。
いろんなことができなくなったからこそ、
自分たちがもといた場所を確認できた気がしました。

その一方で、無観客という決定は、
ぼくらが取材してきた多くの人を愕然とさせました。
たくさんの人を迎え入れるために
ずっと前から作業してきた現場の人たちは、
やってきたことが無になったり、
まったくやり直しになったりしました。

そして、他のメディアの人たちと一緒に
いろいろ話し合ってきた企画も、
どんどん中止になっていきました。
雑誌Numberさんと一緒につくった
オリンピックの特別ムックは発売され、
そこに「観たぞ、オリンピック!傑作選」は
掲載されたものの、
「できたらいいですね」と話していた企画は
この数週間でつぎつぎになくなっていきました。

そんななか、
「観たぞ、東京オリンピックをやります!」
というぼくらの宣言には、
読者の方からたくさんの反響がありました。

オリンピックへの風当たりが強いのは明らかですから、
さまざまな意見があることを覚悟していました。
けれども、届いたメールのほとんどは、
「観たぞをやってくれてありがとう」という内容でした。

もちろん、手放しでよろこぶ意見ばかりではありません。
いただいたメールの何通かは、
「毎回、『観たぞ』をたのしみにしてますが、
今回はどうしてもたのしめません」と
書いてくださった方もいらっしゃいました。
けれども、そういった内容のメールであっても、
最後の一文は、
「私はオリンピックを観ないと思うけど、
『観たぞ』はがんばってください」
と締められていました。ほんとうです。

たぶん、人の気持ちの割合を100で表すと、
今回のオリンピックをたのしみにする気持ちと、
否定的に思う気持ちは、多くの人のなかで
「35対65」とか「8対92」とか「55対45」とか、
入り交じっているのではないかとぼくは思います。

オリンピックをたのしみにしているぼくも、
「100対0」ではありません。
それはどうなんだろうと首をかしげるようなことが
はっきりといくつもありましたから。
そしてオリンピックに反対する人も、
たとえばすべてのアスリートの気持ちを
完全に無視できるかというと、
「100対0」ではないのではないかと思います。

たぶん、いま、これを読んでいる方の気持ちも、
それぞれの割合で入り交じっているだろうと思います。

なにかをジャッジしなければいけない場面では、
プラスとマイナスが入り混じっていようと、
どちらかの判断をしなければならないのだと思いますが、
すべての人が、あらゆる場面で、
入り交じる気持ちを一色で表現しなければ
いけないわけではないとぼくは思います。

17年前からオリンピックをたのしんでいる
ぼくや読者のみなさんのなかには、
このオリンピックをたのしみにする気持ちが
きっとあると思います。
今回の「観たぞ、東京オリンピック!」は
その肯定的な気持ちのひとつひとつを
持ち寄る場になればいいなとぼくは思っています。

せめて、自宅で、オリンピックを観戦し、
テレビに向かって祈ったり、応援したり、泣いたり、
ガッツポーズしたりする気持ちくらいは
たのしく共有されていいのではないか。

なにしろ、人々の気持ちが入り混じっているのに、
そのプラス側を持ち寄るような場が
世の中にいま、少なすぎると思うので。

そしてはじまりにしっかり言っておきたいのは、
このオリンピックをものすごくたのしんだからといって、
入り混じった気持ちを肯定の一色で
塗りつぶしたりもしない、ということです。
入り混じった気持ちを、
なにかの勢いでどちらかに染めてしまうことは
とても危険なことだとぼくは感じるのです。

ああ、たのしい場面で、
こんなにくどくどとごめんなさい。
でも、最初だけ、スタートラインだけ、
みなさんと確認し合っておきたかったのです。

はじまったら、いつもの「観たぞ」です。
アテネ、トリノ、北京、バンクーバー、ロンドン、
ソチ、リオデジャネイロ、平昌と続けてきた、
いつもの「観たぞ」でいきますよ、もちろん。
誰と誰が似てるとか、変な名前の選手がいるとか、
大逆転とか、名実況とか、どぼんとか、
安全ピンはほんとに安全なのかとか、
鉄のメダルとか、キャナダー! とか、
そういうことを延々と言い合っていくと思います。

最後にもうひとつ。

先に書いたように、これまで
ほかのメディアの方たちと企画してきた、
いろいろなオリンピックのプロジェクトが
開会が近づくにつれて中止になっていきました。
取材してきた現場の人たちが準備してきたものも、
根本からやり直しになったりしました。

この2年間に関わってきた人たちから、
「残念ですが‥‥」という報告のメールを
最近、連続して受け取っています。
そして、それを読むたびにぼくが
「まさかこんなことになるなんて」と思うのは、
プロジェクトが中止になってしまったからではなく、
その報告のメールの最後にかならず、
「『観たぞ、東京オリンピック!』が
盛り上がることをたのしみにしています」
と書いてあったからです。

まさかこんなことになるなんて、とぼくは思います。
オリンピックを盛り上げようとしていた人たちから、
どうやら「観たぞ」は託されているのです。

時間をかけて準備されたたくさんの企画が
誰しも予想しなかった事態でつぎつぎに中止されて、
すごくシンプルな「観たぞ」だけが、
すごくシンプルであるがゆえに残っている。
なんだか、おたのしみのバトンを受け取った、
分不相応な補欠のアンカーのような気分です。

まさかこんなことになるなんて。
でも、いろんな人の思いを受け継ぎながら、
ぼくはこんなふうにも言ってみたいのです。

テレビの前でオリンピックをたのしむ自由くらいは
自分から手放さないようにしようぜ、と。

入り交じる自分の気持ちのなかから、
そういったことを最初に言っておきたくて、
こんなに長く書いてしまいました。
すみません。

さあ、明日の夜、開会式です。

投稿フォームの入り口を、この下に設けました。
まだオリンピックははじまってませんが、
リハビリがてら、なにか適当に
送ってみてもいいかもしれません。

明日から約17日間、どうぞよろしくお願いします。
はじまりますよ、東京オリンピック。
どんなことがあろうと、これからの数日間を、
きっとぼくらは忘れないと思う。

2021年7月22日

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2021-07-22-THU

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