糸井 |
吉本さんの講演集が
もうすぐ「ほぼ日」で発売開始となりますし、
7月19日の講演会も、迫ってきました。 |
吉本 |
そうですね。 |
糸井 |
吉本さんの講演テープは
集まったものだけでも
170回分ありましたよ。 |
吉本 |
‥‥俺、苦手だ苦手だと
言っていながらずいぶん(笑)。 |
糸井 |
そうなんですよ。
ひとりの人の、現存する講演テープとしては、
ひょっとしたらいちばん多く
なってしまうのではないでしょうか。 |
吉本 |
そりゃ、まいったというか(笑)。
物書きになったことのひとつに、
しゃべるのが苦手だったから、
ということがあります。
「しゃべることというのは、
絶対に人には通じないんだ」
と、子どものときから思っていましたし、
あまりしゃべらない人間でしたから。
それに、僕は
「あいつ、不機嫌な顔をしている」
って言われる顔をしています。
これは地顔なんだよと言っても
通用しねぇから、
もうそういうことは一切抜きにして、
なにしろ真面目に一生懸命語る以外に
何もできませんから、
そうしてきました。 |
糸井 |
「ほぼ日」で連載している読みものについては、
たくさんの読者の方から感想をいただきます。
やっぱり、とても
いい感じで読んでもらえているのが
わかるんですよ。
どの講演でも著作でも言えることですが、
それは、吉本さんが説教してないから、
ということがあると思います。 |
吉本 |
そうですね。
説教したり、いいことを言っても
ダメなんですよ。
いいことをいいこととして言っても、
ダメなんです。 |
糸井 |
ああ。そうですね。 |
吉本 |
これはダメ。こんな自分でもダメだと思うけど、
きっと、人もダメだと思うに違いないと思います。
そのあたりのことについては、やっぱり
いつでも考えています。
糸井さんの事業だって、
なにはともあれこの不況の真っただ中に、
まあまあよくやっているじゃないの、というのは
現在という状況と
そうとう正面から向き合っているからでしょう。
つまり、そのあたりのことは、
考えないとダメです。
これじゃ適当にいい加減なことを
言っていることになるかな、とか
もっとこうすればいいのかな、とか、
そういうことを、
とにかく大まじめに考えているんです。
でも、僕が
僕のしゃべることについて気にするほど、
そう人は気にしていないと思うから(笑)、
まあ、なんとかいけるんじゃないか
という感じでやってます。 |
糸井 |
今、知識力の低下なんて言われていますし、
学生はものを知らないなんて、嘆かれます。
でも、吉本さんと
知識人じゃないはずの僕らが
直結してしまうのが、今の時代なんですね。 |
吉本 |
ああ。
今、糸井さんがおっしゃったことには
いくつか、根拠があると思うんです。
あらゆる意味合いで、
昔に比べると知識はないし、
素養はないし、見識もないし、
若者はダメになったということに近いことを
僕は言っています。
だけど、ほんとうに教養のある人というのは
どういう人のことを言うか。
それは要するに、
日本の現在の社会状況、
それに付随するあらゆる状況が
どうなっているかをできるだけよく考えて、
できるだけほんとうに近いことが
言えるということです。
例えばどういうことかと言いますと、
古い時代に自分がいたとしたら、どうでしょうか。
そのときの政治のやり方、ものの言い方、
宗教のやり方があったはずです。
例えば、偉い人が死ぬと、埋葬するとき
生きている人を一緒に穴埋めにすることが
行われていました。
ひどく苦しいから、そういう人たちは
泣き叫ぶという状態がありました。
そうすると、誰かが
それはあまりにかわいそうじゃないか、と
おそらく言いだしたんだと思います。
偉い人の埋葬のために
家来を生き埋めにするよりも、
焼きもので、侍とか重臣の人形を作って
埋めることにしました。
誰かがそういうことにしようじゃないかと言い、
それではそのほうがいい、
というふうになったんです。
「古い時代にひでぇことをしたな」
って言うんなら、
今から言えば言えるんです。
そんなの、ひどいことに決まっているわけですよ。
だけど、その時代に自分がいたとしたら、
馬鹿なことだと言えたでしょうか。
権力のせいもあるでしょうけど、
お前が生き埋めになれと言われたら、
「はい」と言って、
だけど苦しいから泣き叫ぶという
そういう状態だったことでしょう。
でも、ある時期で誰かが
「それはちょっとあまりに気の毒、
哀れじゃないか」
ということを言い出した。
そういうふうに、昔のことと今のこと、
実相に近いことをちゃんと言えて、
考えられている、
そういう人がいたら、
それは教養のある人だというふうに
言えると思います。
(明後日につづきます)
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