・コロナ禍で、よろしくないこともたくさんあった。
この先も、あれもこれもとよくないことを思い出すだろう。
そっちは、いいや、どうせみんなも思っていそうだから。
それで、コロナ禍を経験して、よかったこともある。
たとえば、「リモート」という仕事のやり方が、
公然と薦められて、なんなら義務にさえなって、
「はたらき方についての実験ができた」ことがある。
「リモート」に向いている仕事もあるし、
「リモート」ではうまくいかない仕事もある。
仕事と名のつかないチームのあり方にしても、
「リモート」じゃないほうがいいこともあった。
それでも、「リモート」というはたらき方がある、
という選択肢がはっきりと加わったおかげで、
いろんな可能性を探れるなとわかった。
こういうこと、もしコロナ禍でなかったら、
実験するにもけっこう大変なことだったろう。
しかも、一社や二社で試すのではなく、
世界中で、大会社も中小零細企業も含めて、
いろんな業種の会社が試すことができたのは、
ひとつの奇跡だったと思う。
・「リモートができるなら」と問題を立てると、
ずいぶん考え方が変わってくる。
たとえば、新幹線やら飛行機やらを使って、
往復で何時間もかかるような場所に行ったとする。
たとえばいつもは東京で仕事をしている人が、
これを日帰りでやろうとすると、
行って帰って来るだけで、他のことはほとんどできない。
だが、行った先に、簡単に泊まれる場所さえあれば、
その地で3日間くらい過ごして(そこでリモート繋いで)、
そのあとにゆっくりと帰ってくればいいわけだ。
疲れもないし、新鮮な環境で何日間か仕事もできる。
こういうことのための場(先日語った「庵」的なもの)が、
あちこちにあったら、さまざまな地方に、
新しい血液が流れることにもなるだろう。
新幹線やらリニアやらの速度をどれだけか上げるよりも、
行った先、行った先に滞在してリモートではたらくほうが、
いろんな旧くて新しい豊かさが見つかるように思うのだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
その考えからすると、すっごく不便な場所もいい場所になる。