今日のダーリン

・ぼくは、楽観的な人間なのだろうか。
 もしかしたら、そうかもしれないとも思うようになった。
 しかし、もともとの自己認識としては、
 とても悲観的であったはずなのである。
 「ポジティブ」か「ネガティブ」かという言い方にしても、
 このごろは結局「ポジティブ」であるような気がしている。
 もともとは「ネガティブ」だと思っていたのだけれど。
 
 どういうことかというと、楽観的にしても悲観的にしても、
 たくさんの回数、なにかを考えたり判断したりを
 繰り返しているうちに、だんだんと、
 「楽観的寄り」「ポジティブ寄り」に
 なってきたということなのではないだろうか。
 もうちょっと言うと、「悲観的」が強いままでは、
 どうしたって、ものごとをやりとおせないんだよね。
 だって、やめたほうがいい理由をいくつも思いつくし、
 やったら大変なことになる想像もたっぷりするからね。
 それでも、少しでもものごとを前に進めていると、
 その予想している「悲観的」なことで、
 どれくらい「どえらい目」に合うのかを考えるようになる。
 だって、ただ心配ばかりしていてもしょうがないから、
 「それは実際にどれくらいの不幸な結果を招くのか?」と、
 じぶん(たち)自身に問いかけることになるのだ。
 そうすると、無限に心配するようなことは
 「そんなにはない」ということが見えてくる。
 いや、そういう不安がとても大きい場合は中止すればいい。
 そうか、悲観的に見て「こんな感じ」かとわかると、
 「だったらそれくらいの覚悟はできるよね」、
 という判断になって、次の一手が打てるようになる。
 なにかをちゃんとやったというときには、
 悲観的なじぶん(たち)を、いちおうは納得させて、
 「大丈夫」とか「おもしろい」とかの道を選んでいるのだ。
 つまりその、ひとつなにかを実現するごとに、
 悲観的な考えにちょっと引っ込んでもらってきたわけだ。

 そうかぁ、なにかをひとつやるごとに、
 悲観的な気持ちや、ネガティブな考えを休ませたから、
 そのことが実現してきたというわけか。
 だとしたら、たしかに、ぼくは楽観的になってきている。
 …なんてことを思っているんだけど、どうでしょう?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
行動とか実行とかは、悲観的なままじゃできないんだよぉ。