田中×糸井対談
担当・ふなわ
第6回 「プロ」と「アマチュア」
- 糸井
-
はぁ‥‥。このことをね、言いたかったんですよ、僕、ずっとたぶん。で、なんだろう、自分が、自分がやっていることの癖だとか形式だとかっていうのが、まぁ飽きるっていうのもあるし、それから、なかなかいいから応用しようっていうのもあるし、そこをずっと探しているんだと思うんですね。田中さんは、じゃあ、その、そこで付けてしまった癖が20何年分あって、
- 田中
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はい。
- 糸井
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で、自分が名前で出していくっていう立場になって、これ変わりますよね、自分。
- 田中
-
そうなんです。
- 糸井
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(笑)
- 田中
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これがむずかしい。今、青年として、「青年失業家」として岐路に立っているのは、やっぱり会社でコピーライターをやっている、そのついでに何かを書いてる人ではなくなりつつあるので、じゃあ、どうしたらいいのかっていうことに、すごい岐路に立っているんですね、今。
- 糸井
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2つ方向があって、書いたりすることで食っていけるようにするっていうのが、いわゆるプロの発想。それから、書いたりすることっていうのが、食うことと関わりなく自由であることっていうことで書けるから、そっちを目指すっていう方向と、2種類分かれますよね。
- 田中
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そうですね。
- 糸井
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僕もきっとそれについてはずっと考えてきたんだと思うんですね。で、僕はアマチュアなんですよ。つまり、書いて食おうと思った時に、俺はなんか自分がいる立場が、なんかこうつまんなくなるような気がしたんで、いつまで経っても旦那芸でありたいっていうか、「お前、ずるいよ、それは」っていう場所からいないと、言い読み手の書き手にはなれないって思ったんで、僕はそっちを選んだんですね。で、田中さんはまだ答えはないですよね。
- 田中
-
そうなんです。
- 糸井
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どうなるんだろうねぇ。
- 田中
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僕の「糸井重里論」っていうのは、そういう好きに、好きに、旦那芸として書くために組織を作り、みんなが食べられる組織を作り、そして回していき、で、物販もし、で、その立場を作るっていう、壮大なね、自分のクライアントは自分っていう立場を、
- 糸井
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そうですね。
- 田中
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作り切ったってことですよね。
- 糸井
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あの、『キャッチャーズ・イン・ザ・ライ』っていうので、最初、だから、ライ麦畑で捕まる話かと思ったら、タイトルからして間違った誤訳で、いわば。「俺はキャッチャーだから、その場所で自由にみんな遊べ」っていう話ですよね。まさしく、僕が目指しているのは、『キャッチャーズ・イン・ザ・ライ』で。
- 田中
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見張り塔からずっとなんですね。
- 糸井
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そうなんです。それで、その場を育てたり、譲ったり、そこで商売する人にこう、屋台を貸したりみたいなことが僕の仕事で、その延長線上に何があるかって言うと、僕は書かなくていいんですね。本職は、管理人なんだと思うんですよ(笑)。
- 田中
-
管理人(笑)。
- 糸井
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だから、その意味では、田中さんもその素質もあると思うんですよ。
- 田中
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なるほど。
- 糸井
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だから、僕は人がなんと思っているかは知らないけど、自分では、やりたいこととやりたくないことを本当にこう、峻別して、燃えるゴミと燃えないゴミみたいに(笑)、で、やりたくないことをどうやってやらないかっていうことだけで生きてきた人間で、で、「やりたいことだなぁ」とか、「やってもいいなぁ」って思うことだけを選んできたら、こうなったんですよね。で、田中さん、たぶん、僕を見てる目もそこのところよく見てるわけだから、
- 田中
-
そうですね。
- 糸井
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どっちに転んでも全然いいわけで、僕はもうちょっと大変だったのは、書き手っていうものに対して、うーん‥‥、ある種のカリスマ性を要求しますね、人って。
- 田中
-
はい。
- 糸井
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で、そんなのどうでもいいので、僕は。人は、書くっていうことは、何かを、士農工商みたいな、順列で、なんだろう、トランプ大統領よりもボブ・ディランが偉いみたいな、
- 田中
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わかります。
- 糸井
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その目をどうしても向けるんで、その順列からも自由でありたいなぁっていう。だから、超アマチュアっていうので一生が終われば、僕はもう満足なんですよ(笑)。
- 田中
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その軽ろみをね、どう維持するかっていう、その糸井さんはずっとその戦いだったと思うんですよね。
- 糸井
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そうですね。で、同時に、その軽さはコンプレックスでもあって、「俺は、逃げちゃいけないと思って勝負してる人たちとは違う生き方をしてるな」って。
- 田中
-
わかる、メッチャわかる(笑)。
- 糸井
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(笑)つまり、俺は受け手として書いてきた人間なんで、「どうだ!」って言って、たとえば、人を斬っても、まだ生き返って斬りつけてくるかもしれないから、もう1回刃を両手でもって突き立てて、心臓の所にとどめを刺して、まだ心配だから踏みつけて、で、「死んだかな」っていうのを確かめて、心臓をえぐり出して、ハァハァ言いながら、「勝った」って言うような人たちと同じことを俺してないんで、生き返ってきたら、「そいつ偉いな」って思うみたいなところがあって(笑)。
- 田中
-
そうですね。書くことの、まだものをね、ちょっとでも書くようになってたった2年ですけど、書くことの落とし穴はすでに感じていて、それは、つまり、僕はこう考えるっていうことを重ねて毎日毎日書いていくうちに、だんだん独善的にやっぱりなっていく。
- 糸井
-
なっていきますね。
- 田中
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はい。そして、なった果ては、人間は、九割くらいは右か左に寄ってしまうんですよね。
- 糸井
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うんうん。
- 田中
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これが、どんなにフレッシュな書き手が現れて、すごい真ん中あたりで心が揺れているのを、みんな揺れてますから、その揺れているのをうまいことキャッチして書いてくれたなっていう人も、10年くらい放っておくと、どっちか右か左に振り切ってることがいっぱいあって。
- 糸井
-
あのぅ、世界像を安定させたくなるんだと思うんですよね。
- 田中
-
はいはい。
- 糸井
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でも、世界像を安定させると、やっぱり、うーん‥‥、夜中に手を動かしている時の全能感っていうのが起きててご飯食べている時まで追っかけてくるんですね、たぶん。
- 田中
-
なるほど。
- 糸井
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ここはね、俺は逃げたいっていう。何もしないで、うーん‥‥、「生まれた」、「めとった」、「耕した」、「死んだ」っていう、こう、4つくらいしか思い出のないっていうのは、みんなが悲しいことだって言うかもしれないけど、これ、やっぱり一番高貴な生き方だと思うんで。
- 田中
-
なるほど。
- 糸井
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で、そこからずれる分だけ歪んでいるんで。で、それが、なんか世界像を人にこう、押し付けられるような偉い人になっちゃうっていうのは、拍手はする時がいっぱいあるんだけど、読み手として拍手はするんだけど、人としてはつまんないかなっていうのが。
- 田中
-
恐ろしかったりしますね、それは。
- 糸井
-
しますよねぇ。
- 田中
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そこで書く行為自体が、はみ出したり、怒ってたり、ひがんでたりするということを忘れる人が危ないですよね。
- 糸井
-
それ、書き手として生きてないのに、そういうことを考えてる読み手ですよね。
- 田中
-
そう、そう、そう(笑)、そうなんです。
- 糸井
-
ややこしいよねぇ。
- 田中
-
で、僕は別にさっき言ったような、世の中をひがむとか、言いたいことがはみ出すとか、何か政治的主張があるとかはないんですよ、読み手だから。だから、よく言われるのは、何か映画評とか書いてたら、「じゃあ、田中さん、そろそろ小説書きましょうよ」。
- 糸井
-
言いますよね、必ず言いますよね。
- 田中
-
まぁそれは読みたいっていうのもあるだろうし、あと、商売になるって思っている人もいる。だけど、やっぱり別にないんですよ。そんな、なんか心の中に、その、なんかこれが言いたくて俺は文章を書くっていうのはなくて、常に、「あ、これいいですね」、「あ、これ木ですか?」、「あぁ、木っちゅうのはですね」っていう、ここから話しがしたいんですよ、いつも。
- 一同
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(笑)
- 糸井
-
お話しがしたいんですね(笑)。
- 田中
-
そうなんです。
- 糸井
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そのあたりは、なんかたぶん永遠の問題かもしれないんだけど、うーん‥‥、ずっと考えてることですよね(笑)。あのぅ、自分の中に、その、なんだろう、そういうことに対してのこう、見方自身がちょっとこう、育ち方の中で歪んでいるものがあるんだろうなっていうのは思うんですけど、吉本ばななかなんかに、「糸井さんは、もう本当にいろんなものから吹っ切れているようだけど、やっぱりちょっと作家を偉いと思ってる」。
- 田中
-
って言うんだ、吉本さんは(笑)。
- 糸井
-
たぶん。「で、それはものすごく惜しいことだと思う」っていうのを、たしか吉本ばなながポロッと言ったんだよね。
- 田中
-
あぁ、あぁ。
- 糸井
-
で、それはお父さんの吉本隆明も言ってたんですよ。で、それ、要するに、「思う必要がないのに」っていう。
- 田中
-
本当そう思います、僕も。
- 糸井
-
で、俺もそう思うんですよ。それで、残っているとしたら、しょうがないなぁ、拍手してる自分っていうところに、拍手に力がこもっちゃうのかなぁみたいな。だから、絵描きにも拍手するし、そのぅ、なんだろう、映画作ってる人も全部するんだけど、やっぱり表現者に対する拍手がちょっとでかすぎるかなみたいな。
- 田中
-
はぁはぁ、なるほど。
- 糸井
-
だから、時になんかこう、もっとしょうもないものへの拍手っていうのが同じ分量でできてるはずなのに、人に伝わるのはね、やっぱり表現者に対する拍手だから、そこはしょうがないのかなぁ。でも、自分の仕事やろうって思うんですよね。わかんない。
- 田中
-
だから、そこ、バランス取って、僕のような、このしょうもない戯言言ってる人間にこう、夜中に絡むわけですか(笑)。
- 糸井
-
(笑)
- 田中
-
ウザ絡みを(笑)。
- 糸井
-
だいたい「www」で返されてますけどね(笑)。
- 田中
-
「もう3時半だけど、またなんか言ってきたよ」って(笑)。
- 糸井
-
ひと寝入りしてから、まだ絡んでたりするからね、ヘタするとね。
- 田中
-
1回寝て起きて(笑)。
- 糸井
-
うーん‥‥、なんだろう、「これいいなぁ」っていうのの、うーん‥‥、「これいいなぁ業」ですよね。
- 田中
-
はい。
- 糸井
-
で、たぶん泰延さんも本当はそれですよね。
- 田中
-
もう、「これいいなぁ」ですよ、本当に。
- 糸井
-
それですよねぇ。誰かいたのかな、そういうことって、今までに。人が語っている、たとえば、吉行淳之介のお父さんの吉行エイスケさんだとか、そんなような人として語られたりするし、いっぱいいるんだけど、どれもやっぱり、そのぅ、文壇だとか表現者の集いの中でのこう、サロンの人ですよね。
- 田中
-
そうですね。閉じられた中で、「あの人は偉大であった」と言うこと。
- 糸井
-
「寺田寅彦はいいね」みたいな。
- 田中
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うんうん。
- 糸井
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それは居心地がよさそうだなっていうのは思うんだけど、そのために趣味のいい暮らしをするみたいになっちゃうのが、なんか、僕としてはちょっと、もっと下品でありたいというか(笑)、「何それ?」みたいな。
- 田中
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だから、永遠に馬鹿馬鹿しいことをやるっていうのは、これは一種の体力ですよね。
- 糸井
-
体力ですね、そうですね。
- 田中
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でも、これをやらないところに陥った瞬間、偉そうな人にやっぱりなるんで。
- 糸井
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なるんですよねぇ。で、やっぱり、泰延さんでも僕でも、感心されるツボみたいなのが、「いや、自分でも悪い気はしないよ」っていうのがやっぱりいっぱいあるわけだから。
- 田中
-
はい、はい。
- 糸井
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どうしようかって思うんだよ。
- 田中
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「どうしようか」(笑)。そうですよね。
- 糸井
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で、「グルッと回って結論は?」ってなると、あのぅ、「ご近所の人気者」っていうところへ行くんだよ。
- 田中
-
そこですね(笑)。本当にそこですね。「ご近所の人気者」。