大瀧詠一さんと、トリロー先生の話を。
淀川
トリローマーク
ピアノを弾く三木鶏郎
1956年8月11日 旬刊「ラジオ東京」
(ラジオ東京発行)
マイクに映った顔
記事タイトル:「冗談列車!発車」
第5次「冗談音楽」を
KRTの電波にのせるにあたって
タイトル

竹松 私が鶏郎先生の
お手伝いをはじめた時、
先生は、戦前・戦中に
書いていたクラシック

甦らせようとしていました。
コンピューターでそれが実現し、
オーケストレーションに
バイタリティーを注ぎ込んでいました。
大瀧 うん。原点に帰ってね。
好きなことを、誰にも拘束されないで
期限無しに‥‥
竹松 ‥‥「いちばん、楽しい」と。
ほんとうに楽しそうでした。
大瀧 そう、そう。ストレスが
一番ない時期なんだよ。締め切りはないしね。
作ってなんだかんだって
ガタガタ言われないしさ。
それは楽しいんだよ。
竹松 職業にしていたときは、
「やっぱり、つらかったね」
と言ってましたね。
糸井 だから、不本意なことをずーっとやって、
うまくやってきたということだよね。
だから、最後は一番自分にとって
軽い仕事をした、ということですよね。
好きで。
竹松 一番好きで、一番やりたかった‥‥
ことなのだと思います。
何十年間と費やしてきた時間に、
ほんとはクラシックを続けたかった、と。
でも、生活のためなどいろいろあって。
時代に乗った、というところもありますね。
で、最後は、自分の好きなことの
10年、20年、ということで。
大瀧 たいていは、それを「不本意」と
言うんだけど、ほんとの意味で
不本意ともちょっと違うんだよね。
糸井 うーん。
大瀧 それはね、ご承知のとおり、
時代の波に乗ったりとか‥‥
そういうような時期のときというのは、
楽しい部分は当然あるわけですよね。
糸井 楽しい部分はありますよね。
欽ちゃんだってそうですしね。
大瀧 ええ。必ずありますよ。
自分が時代を動かしているんだとか、
中心にいるとか、そういうような
錯覚みたいなもの自体を、後になってからね、
「あれは本意ではない」とか言うのはね、
やっぱりちょっと‥‥どんな人間でも‥‥。
大森 うん。
大瀧 それを、やったんだから。
目の前でそれを辞めた、というのだったら
話は別だけど。やった、という事実に
本意も不本意もないというのが
僕の考え方だね。
糸井 そうだね。なるほどね。
大瀧 現実を‥‥結果をそのまま
受け止るというのが、
歴史の改竄はよくないというのと同じで、
あったことはそのまま
受け止めるべきだと思う。
そういうようにしておくと、
受け継がれるの。
改竄したものというのはね、
受け継がれないんだ。
だから、我田に水を引いたり‥‥
という種類のものはね、
必ず、落ちていく
糸井 だから、向いていることとか、
得意なことを選んでやってきたから、
うまくいったんじゃないよ、
ということが言いたいんですよね。
大瀧 まぁね。あとは‥‥あの時代というのは、
あまり社会的に高くなかったんですよね、
位置がね。
大森 うん。
大瀧 CMも含めて。芸能人も含めてだけど。
さすがに戦後はよくなったろうけれど、
プライドはかなり傷ついたでしょうからね。
戦前は、大学出の学士の
芸人みたいなのはないからね。
糸井 言わば、客商売をするということですからね。
大瀧 ね。そういう意味合いの、いろいろ不本意、
というのは随分あったとは思うんだけど、
ただ、いっぱい作って、
「俺の本来はこっちじゃないんだよ」って、
みんな言うんだよね。
でも、それも気持ちは分かるんだけど、
やっぱり、それはそれ、だよね。
作家が、「これが一番満足がいく」と
言ったものが、受け取る側が満足いったと
いうものとは、やっぱりちょっと‥‥
糸井 違うよね。
大瀧 そのズレがあるから、面白い。
糸井 だってね、モーツァルトだって
依頼がなきゃ‥‥
大瀧 依頼があって作っているからね、みんな。
やっぱり、依頼があるのが一番だね。
大森 今回の企画で、
こういうお話をお聞かせいただいて‥‥。
ぼくは先生の晩年には離れていたでしょ。
で、たまに、1年に1回とか、
2年に1回くらい先生にお会いする。
そうすると、
「大森さんね。申し訳ないけどね‥‥」と。
まぁ、言ってみるとリリカルソング、ね‥‥
大瀧 ええ。メロディータイプのものね。
大森 そう、そう。「自分の歌がある。
それを世の中に出したいんだ」と。
大瀧 服部良一のね、ああいうメロディックな
ものとか、ああいうタイプのものが
「俺にもあるんだよ」‥‥と。
大森 「出してくれないかな」と、
そういう気持ちをすごくいただいたんです。
大瀧 俺は、コミックソングで
ベスト10に入れたい、
という気持ちがあるんだけどね。
糸井 ときどき、あなた、
おやりになって
いらっしゃいましたよね(笑)。
大瀧 だけど、ベスト10に入ったことないんだ。
100位以内に2曲しか入ったことがないんだ。
糸井 「イエローサブマリン音頭」。
大瀧 「うなづきマーチ」。この2曲しか‥‥
糸井 大したもんだよ!
大瀧 大したもんでもないんだ。
ベスト20にも入らないんだ。
‥‥コミックソングで認められたいんだよ!
糸井 はぁー‥‥(笑)!
竹松 鶏郎先生は‥‥
「コミックソングの三木鶏郎」
と呼ばれるのは、
不本意だったと思います。
糸井 それは、三木のり平さんもそうですよ。
三木のり平さんは結局‥‥
大瀧 演出のほうに行った。
あの時代の人は、やっぱり、そうだよ。
植木さんだって、スーダラ節を歌いたくて
やったわけじゃないとか。
‥‥われわれには、ないよ。
そういうようなことは。
糸井 ない、ない。
大瀧 嫌でやった、ということはないよね。
そういう意味では。
糸井 「べつに、楽してやっていたわけじゃないよ」
みたいなことは言うけどね。
大瀧 まぁね。だけど、嫌なことはないな。
竹松 「コミックソング」と言われるのを聞いて、
私は、「僕は特急の機関士で」とか
「田舎のバス」とかが、
「あれは、コミックソングだったんだ!?」
と逆に驚いたんです。
大瀧 厳密に言えば、コミックソングでは
ないんだけどね。
竹松 ええ。鶏郎先生はあれを
五大ヒットソングの中に
入れているんですけど、
「これは、コミックソングとは
 私は捉えないですね」と言いました。
大瀧 そうするとね、ジャンルが
細かくなっちゃうのよ。
竹松 そうなんですね。
大森 糸井さんの「スーパーフォークソング」。
糸井 ああ‥‥コミックソングですよ!(笑)
大瀧 結局、歌謡曲というデカイ幹があるから、
非歌謡曲というジャンルの総称体がない。
糸井 単純に、セリフが入るともう歌じゃない、
みたいなところがちょっとあるんだよね。
大瀧 だって、「月の法善寺横町」だって、
セリフあるじゃない。
糸井 だから、‥‥駄目なんじゃないのかな。
大瀧 え?‥‥鶏郎さんが?
糸井 ええ。セリフがあると、なんかね‥‥
大瀧 セリフだけじゃなくて、
コントまで入ってるじゃない、
「田舎のバス」なんて。
糸井 そうだよね。「モォ〜」まで入ってくるよね。
大瀧 うん。だから、あれは
ミニミュージカルなんだよね。
糸井 ミニミュージカル!
大森 うん! そうですね。
それはすごくよくわかる。
糸井 大瀧さん。全然、
もう作っていないの‥‥今?
大瀧 ないよ。
糸井 ウフフフフ。
大瀧 依頼がないんだよ。
誰も頼んでこない。
頼まれているうちが花だったねぇ。
糸井 ウフフフフ‥‥そっか。
ではそろそろこのへんで。
今日はありがとうございました。
竹松 記念写真を1枚だけよろしいでしょうか。
大瀧 大森さんも。
一同 お疲れ様でした!
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『ゆらりろの歌』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:ダークダックス
『雪のワルツ』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:楠トシエ
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
(大瀧さんと糸井重里による
 三木鶏郎さんについてのお話ははこれでおしまいです。
 鶏郎さんのコンテンツはまだまだ続きますよ!
 次に登場してくださるのは、
 細野晴臣さんと鈴木慶一さんです。
 どうぞお楽しみに!)

2006-01-18-WED


オリジナルSP原盤、マスターテープ、
一部SPレコードから再録した
鶏郎さんの作品集が発売になりました。
「音楽作品」14曲、「CM作品」14曲、
「アニメ主題歌作品」2曲、
そしてボーナストラックは
なんと1948年にSP盤で発売された
「冗談音楽 日曜娯楽盤」を完全収録しています!
ブックレットには鶏郎さんのもとでいっしょに
仕事をしてきた伊藤アキラさんや永六輔さん、
大きく影響を受けた大瀧詠一さんや
鈴木慶一さんらの寄稿も掲載されています。

2005年11月23日発売
COCP-33435
¥2,500(税込)
コロムビアミュージック
エンタテインメント株式会社
ご注文はこちらへ


先に行われたコンサート
「三木鶏郎と異才たち」を記念して
渾身の! ビジュアルブックができました。
鶏郎さんが活躍した当時の新聞雑誌記事、写真、
鶏郎さん自身の回想とともにふりかえる歴史、
これまでに発売されたレコードジャケットや
作品リストなどが掲載されています。
一般の書店には置かれていませんが、
制作したファイブ・ディーさんでの
通信販売で、入手可能ですよ〜。
ご注文はこちらへ
デザイン協力:下山ワタル
いままでのお話
2005-12-16 はじめに(予告編)
2005-12-21 第1回 トリロー先生の、晩年の助手の竹松さん、
ぼくらに鶏郎さんのことを教えてください!
2005-12-26 第2回 鶏郎さんの20年後、大瀧さんが
三ツ矢サイダーのCMをつくることになった。
2005-12-28 第3回 戦後ラジオっていう
でっかい木が1本立っていて、
そこから鶏郎さんが降りそそいでいたんだ。
2005-12-30 第4回 鶏郎さんは、運命に身をゆだねた
超売れっ子のアーティスト。
2006-01-02 第5回 ぼくらの仕事は、ちゃんと
鶏郎さんにつながっているんだね!
2006-01-04 第6回 続けているひとっていうのは、なにか。
その使命に動かされているんだと思う。
2006-01-06 第7回 鶏郎さんと落語、鶏郎さんと戦後民主主義。
「トムとジェリー」が
鶏郎さんオリジナルだって?!
2006-01-09 第8回 ええっ?!鶏郎さんのところには、
そんな人たちが
出入りしてたんですか?!
2006-01-11 第9回 あれだけ人が多かった
鶏郎さんのチームだけど、
「弟子」というものは、とらなかったんだね。
2006-01-13 第10回 鶏郎さんは、ディズニーと
どんな仕事をしたんだろう?
2006-01-16 第11回 鶏郎さんって多面体だから、
あまりにもたくさん入り口がありすぎて。
ご感想はこちらへ ほぼ日のホームへ 友だちに知らせる
©2005 HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN All rights reserved.