──
石内さんは、依頼を受けて
メキシコの画家フリーダ・カーロの遺品を
撮影なさったそうですね。
石内
ええ、あるときに
フリーダ・カーロ財団からメールが来てね。
「興味はあるか」って。
──
現地で、3週間かけて撮ったそうですが、
印象的だった遺品って、何ですか?
石内
私、彼女や彼女の作品について、
そんなに詳しく
知っていたわけじゃないんです。
──
あ、そうだったんですか。
てっきり、作品のファンだったのかと。
石内
いえ、一般的な知識しかなかった。
──
では、なぜ依頼を受けたんですか?
石内
それは「フリーダ・カーロだから」です。
断る理由が、あると思う?
©ノンデライコ2015
──
なるほど。
石内
フリーダ・カーロは、
まだ幼い、6歳のころ小児麻痺を患って、
18歳のときには
大きな交通事故に巻き込まれて、
お腹に鉄の棒が刺さって‥‥
身体じゅう、「満身創痍」だったんです。
つまり、身体障がい者だったわけ。
──
はい、そのせいで、
ブーツのかかとの高さが左右でちがったり、
コルセットをたくさん持っていたり。
石内
身につけている衣服の色合いが派手だから
遺品と対面する前は、
模様や飾りばかりで「過剰」な印象だった。
──
ええ。
石内
でも、撮影するうちに、わかったんです。
「過剰に飾り立てているのかと
思っていたけど
フリーダのドレスやブーツや手袋って、
身体の不自由な彼女が
自分自身を補うために必要だったんだ」
ということが。
──
なるほど。
石内
つまり「過剰」でもなんでも、なかった。
だから、何が印象的だったかと聞かれたら
「ドレスやブーツ」なんだけど、
その「印象」は、
撮っていくうちに変わっていったんです。
©ノンデライコ2015
Frida by Ishiuchi #59 © Ishiuchi Miyako
──
ここでも「発見」しながら、ですね。
石内
フリーダの「作品」についても同じです。
私は、フリーダ・カーロの絵を
生で、きちんと観たことがなかったの。
もちろん、作品集だとか
印刷物としては観たことあったんだけど。
──
ごらんになって、どうでしたか?
石内
生と印刷とでは、ぜんぜんちがった。
やっぱり、現場で、
生の絵をきちんと観なきゃダメだなって
強く思いました。
それは、フリーダを理解するためにも。
──
と、おっしゃいますと?
石内
生の絵を観たら、
それまで、印刷で見ていた彼女の作品は、
何て言ったらいいのか‥‥
「傷」とか「痛さ」というようなものが、
「表に出すぎている」と思った。
──
「フリーダ・カーロ」のイメージというと
一般的には
「痛み」「傷」「死」って感じですよね?
石内
本物を観たら、そうじゃないと思った。
印刷って、やっぱり印刷でしかないから
生の作品から受ける印象が
どうしても「平たん」になってしまう。
──
なるほど。
©ノンデライコ2015
©ノンデライコ2015
石内
そのせいで
「フリーダ・カーロ」という存在に対する、
ありがちなイメージだけが
強調されてしまうけど、
フリーダが描いた、生の、本物の作品って
もっともっと
「ゆったり」してるように感じたんです。
──
ゆったり?
石内
うん。
──
それは、すごく意外ですね。
石内
ぜひ、観てください。生で。
観れば、わかると思うよ。
たしかに、直接的には
「傷」や「痛み」を描いてるんだけども、
彼女は、本当は、
そのことを描いたわけじゃないんだって、
そんな気がする。
──
では、何を?
石内
個的な「傷」や「痛み」よりも、
もっと大きなものを、描いてると思う。
──
大きなもの。
石内
自分自身のアイデンティティだったり、
メキシコという国の歴史、
当時の社会を取り巻く、ナショナリズム。
私の勝手な理解かもしれないけど。
──
でも、実際に生の絵をごらんになって
そう思ったってことですもんね。
これまでのキャリアで
何らかの「痛み」や「傷」をテーマに
作品を撮ってきた、石内さんが。
石内
フリーダの服は、基本的に民族衣装なの。
お父さんはドイツ人で
お母さんはメキシコ先住民族だったから、
ハーフなわけです、彼女。
──
はい。
石内
つまり、そういう生まれなんだけど
フリーダが
民族衣装を着るようになったのは
メキシコの国民的画家の
ディエゴ・リベラと結婚してからだって
お話がありました。
ようするに、
お母さんの故郷の伝統的な民族衣装である
テワナというドレスを着ることも、
自分のアイデンティティを確かめるための
ひとつの手立てだったんだと思う。
©ノンデライコ2015
──
つまり「アイデンティティ」ということが
フリーダ・カーロにとって
ひとつの、大きな問題だったと。
フリーダ・カーロの衣服にも
フリーダ・カーロの「痕跡」というものが
遺されていましたか?
石内
もちろん。におい、体型、染みついてた。
──
そうやって、遺品を撮っているときって
どんなことを考えているんですか?
石内
発見することはあるけど、
考えていることって、とくにないですよ。
撮影中は、忙しいんで。
──
いわゆる「無心」ってことですか。
石内
いえ、そんなたいそうなものではなくて
つまり、私、撮影が苦手で‥‥。
──
そんな(笑)。
石内
本当に。
だから、なるべく早く終わらせたいし、
撮れるものだって、限られてる。
目の前にあるものを撮るしかないから、
何かを考えてるヒマなんてない。
──
そうなんですか。
石内
写真って「現実しか撮れない」のよ。
過去は撮れないし、未来も撮れない。
現実とはちがう「幻想」も撮れない。
──
はい。
石内
でも、目の前の真っ赤なドレスを
フリーダが着ていた姿は撮れないけど、
「遺されたもの」は
今、私と同じ時間と空間を共有してる。
──
ええ。
石内
そういう、自分の目の前にある
遺品の「今」や「現実」を捉えるのに
忙しいんです、撮影中は。
©ノンデライコ2015
──
撮りたいものと、そうでないものって
やはり、あるんでしょうか?
石内
それは、はっきりと、あります。
やっぱり、好きなものしか撮れないし、
そうでないものは撮ってません。
──
遺品でも、同じですか?
石内
もちろん。
私、自分の好きなものしか撮ってない。
だって、義務じゃないから。
──
それは、そうですよね。
石内
まあ、嫌ってほどの感じではないけど、
撮りたいとは思わない、
まあ、どうでもいいものは、あるよね。
だって、ぜんぶは撮れないでしょう?
当然、パスするものはあるし、
撮りたいと思うものしか、撮れないし。
それは、『ひろしま』も一緒。
──
では、撮りたいと思うのは‥‥?
石内
「あ、いいな」とか、「カッコいい」とか、
「これ、着たいな」とか、いろいろね。
でも、フリーダのときは
はじめのうちは、ずっと緊張していたし、
迷いがあったのも、たしか。
©ノンデライコ2015
──
そうだったんですか。
石内
フリーダの遺品と向き合うまでに
すこし、時間が必要だったんです。
でも、大きかったのは‥‥。
──
ええ。
石内
料理が、すごくおいしかったこと!(笑)
──
おお(笑)、メキシコのごはんが。
石内
私、もうね、すっごく気に入っちゃって、
毎日毎日、飽きずに食べてたの。
トルティーヤでも、タコスでも、
きゅうりのジュースでも、
「モーレ」とかっていうソースのかかった
鶏肉料理でも、お米のスープでも、
なんでもかんでも、本当においしくって。
──
食べものがおいしいっていうことは
重要なことなんですか?
石内
もちろんよ。だって、元気になれるから。
──
そうか、そうですよね。それは。
石内
あの素晴らしいメキシコ料理のおかげで
すっかり「ビバ、メヒコ!」となっちゃって
フリーダの遺品も撮る切ることができた。
そういう面は、たしかに、あります(笑)。
Frida by Ishiuchi #34 © Ishiuchi Miyako
<続きます>
2015-08-10-MON