21世紀の「仕事!」論。

22 写真家

第3回 撮りたいものは、撮り尽くした。
──
石内さんって
学生時代は「織物」をされていたんですね。
石内
そう、当時の多摩美(多摩美術大学)は
「織り科」と「染め科」があって、
私は「織り科」のほうで
ギッタンバッコン、機織りしてたんです。
──
お生まれが桐生ということで
もともと織物に、ご興味があったんですか?
石内
いや、挫折したから。
──
挫折。何に、ですか?
石内
デザインに。
──
そうなんですか。
石内
私、平面のデザイナーになろうと思って
多摩美のデザイン科に行ったんだけど
1年間、通ってみたら
自分には向いてないってことがわかった。

そこで、デザインとはいちばん関係ない
「織り科」に転部したんです。
──
なぜ、向いていないと思ったんですか?
石内
私、ケント紙を水貼りするのも、
烏口で線を引くのも、
つまり、技術的なことが、ぜんぜんダメで。

こんなことじゃあ、
とうていデザイナーなんか無理だなって。
──
じゃあ、織り物に興味があったわけでも
なかったってことですか。
石内
そう、いちばん
どうでもいいやってとこにしたの(笑)。
──
でも、今につながってますよね。
石内
そうなの、本当に。不思議なんだけど。

おかげで、私、『ひろしま』のときも、
フリーダの遺品を撮ったときも
これは絹だとか、木綿だとか、化繊だとか‥‥
素材が何かも、織り方もわかった。

それって、思い出すのも嫌なんだけど、
大学の織り科で学んだことなんだよね。
──
でも、その「織り科」から
こんどは、どうやって「写真」の道へ?
石内
写真は、偶然。

友だちが暗室道具一式を‥‥
つまり、引き伸ばし機から、バットから、
ピンセットから、カメラから、
写真に必要な道具を持っていた友だちが、
「もうやめた」って言うんで、
私んちの空き部屋に置いてあげたんです。
──
ええ。
石内
それって使わなければ「ゴミ」じゃない?
でも、使えば「道具」になる。

写真かあと思って、ある日やってみたら、
おもしろかったんですよ。
──
世界的なハッセルブラッド賞の受賞者で
世界各地の美術館に呼ばれる
写真家の「はじまり」が、
「ある日やってみたら」だったんですか。
石内
でね、ここでも不思議な一致なんだけど
織り科では
白い糸を染めてから織り機にかけるのね。

その、白い糸を染めるときの薬品が
暗室で使う薬品と、同じだったんですよ。
──
え、偶然?
石内
そう、氷酢酸という薬なんだけど、
写真も染め物かと思うとおもしろくてね。

私、その薬品のにおいが好きだったし、
だから、はじめのころは
暗室に入りたくて写真を撮ってた感じ。
──
暗室が、おもしろかったんですか?
石内
だって、「世界」が、
目の前にジワジワあらわれてくるんだよ?

まるで、「世界」を、
自分の手でつくりあげているような、ね。
──
石内さんの場合、「撮りたいもの」って、
どうやって出てくるんですか?
石内
私は、もうね、個的に撮りたいものは
『Mother's』を最後に
ぜんぶ、撮りつくしちゃってるんです。
──
え、もうないんですか?
石内
ない。
──
では、かつての「撮りたいもの」って、
どんなものだったんですか?
石内
若いころのことで言えば
私は「敵討ち」のつもりで、撮ってた。
──
敵討ち。
石内
私、横須賀の町に、敵を討ちに帰ったの。

それが、はじめのころに出した
『絶唱・横須賀ストーリー』という作品。
──
まだ会社づとめだったころに撮りためた、
石内さんのデビュー作ですよね。

すでに絶版で、見たい見たいと思いつつ、
古本ではすごい値段がついてるし、
すみません、まだ拝見してないのですが。
石内
あれ、説明するとめんどくさいんだけど、
ようするに「思春の傷」ですよ。
──
そういう作品なんですか。
石内
私は、横須賀の町から傷を受けたわけ。

だからさ、悔しいから、
敵を討ちにカメラを持って行ったのよ。
それが「芸術作品だ」って言われて。
──
以降、本格的に写真家の道へ。
石内
そうやって、
自分のなかで絶対譲れないものだとか
解決できないものを、
私はぜんぶ、写真に撮ってきたんです。

で、『Mother's』のときに
母の遺品に向き合って、
あるていど撮りつくしたなと思ったの。
もう、個的なものはいいかなって。
──
それからの石内さんは
基本的には
外部からの「依頼」に応えてこられた。
石内
うん、まぁ、そうだね。

『ひろしま』も、フリーダ・カーロも、
つい最近では
秋山祐徳太子さんのお母さまの遺品を
撮ったんだけど
ぜんぶ「撮ってくれないか」だから。
──
その場合、「撮りたい」という動機は、
石内さんのなかに
あとから、生まれてくるものですか?
石内
まず「仕事」だと思ってないんです。
「発注された仕事」という意識はないの。

ようするに、はじまりは「依頼」でも
やると決めたら、
「自分の撮影」にしていかないとダメ。
──
おもしろくない?
石内
そうしないと、写真なんて、撮れません。

木村伊兵衛賞をもらったあとに、
1回だけ、ある雑誌から頼まれて
撮りたくもないものを撮ったことがあるけど、
もうね、おそろしくつまらなかった。
──
では、撮りたいものだけを撮る、
『Mother's』以降は
依頼を「自分の撮影」にしていくスタイルで
もう、何十年も。
石内
そう言われるとびっくりするけど(笑)、
「撮り続けてる」意識は、ないな。

実際、写真なんて、
ほとんど撮ってないから、この40年。
──
そんなことないでしょう(笑)。
石内
そんなことあるわよ。

だって、私、
年に1度くらいしか撮ってないんだよ?
──
え、ほんとですか。
じゃあ、ふだんは、撮らないんですか。
石内
撮らない。
──
つねにカメラを持ってるわけでもなく?
石内
今日も持ってくるの忘れちゃった(笑)。
──
ですよね(笑)。

「できたら、
 愛用のカメラを持ってきてください」と
間に入っている人に
リクエストをしていたので
どこにあるのかなって思ってました(笑)。
石内
ふだんは、チビカメラしか持ってないし、
ちゃんとしたカメラも
「ニコンのF3」ってのしかないしね。
──
じゃあ、たとえば
1ヶ月くらい撮らないこともあったり?
石内
今年‥‥撮ったかな?
──
え、いや、もう6月ですが(笑)。
石内
来月にはね、撮るんだけど。
広島で、新しい遺品が出ているからね。
──
はー‥‥びっくりしました(笑)。
石内
私、展示が多いのよ、写真を撮るより。

来月からも
広島県立美術館と広島市現代美術館で
展示があるし(ともに開催中)、
今、ロンドンでも
フリーダ・カーロの展示をやってるし。
──
いや、写真家というと、
「いつでもどこでもカメラを離さない」
みたいな姿が
ひとつのイメージとしてあるので。
石内
私は、そんなに‥‥あ、撮った撮った!
今年、写真、撮った。

さっき言った、ほら、
秋山祐徳太子さんお母さまの遺品をね、
ふた月くらい前に、撮りました。
──
あ、それは今年だったんですね(笑)。
石内
そうです、撮ってます、撮ってます。
展覧会も銀座でやります(現在は終了)。
──
はい(笑)。
石内
自分でも、よくわかんないんですよね。

さっきから言ってるように
自分から撮りたいものって、もうないから。
まあ、唯一「ひろしま」の遺品だけは、
ライフワークだから、
私が撮るしかないって思ってやってるけど。
──
それって、写真家としては、
「つまらないこと」では、ないのですか?
石内
ううん、そんなことない。

だって、これから先、どんな人が、
私に、何を撮ってって頼みに来るのか‥‥。
──
ええ。
石内
私はそれを、楽しみに待ってるから。

©ノンデライコ2015

<おわります>
2015-08-11-TUE
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