- ──
- 石内さんって
学生時代は「織物」をされていたんですね。
- 石内
- そう、当時の多摩美(多摩美術大学)は
「織り科」と「染め科」があって、
私は「織り科」のほうで
ギッタンバッコン、機織りしてたんです。
- ──
- お生まれが桐生ということで
もともと織物に、ご興味があったんですか?
- 石内
- いや、挫折したから。
- ──
- 挫折。何に、ですか?
- 石内
- デザインに。
- ──
- そうなんですか。
- 石内
- 私、平面のデザイナーになろうと思って
多摩美のデザイン科に行ったんだけど
1年間、通ってみたら
自分には向いてないってことがわかった。
そこで、デザインとはいちばん関係ない
「織り科」に転部したんです。
- ──
- なぜ、向いていないと思ったんですか?
- 石内
- 私、ケント紙を水貼りするのも、
烏口で線を引くのも、
つまり、技術的なことが、ぜんぜんダメで。
こんなことじゃあ、
とうていデザイナーなんか無理だなって。
- ──
- じゃあ、織り物に興味があったわけでも
なかったってことですか。
- 石内
- そう、いちばん
どうでもいいやってとこにしたの(笑)。
- ──
- でも、今につながってますよね。
- 石内
- そうなの、本当に。不思議なんだけど。
おかげで、私、『ひろしま』のときも、
フリーダの遺品を撮ったときも
これは絹だとか、木綿だとか、化繊だとか‥‥
素材が何かも、織り方もわかった。
それって、思い出すのも嫌なんだけど、
大学の織り科で学んだことなんだよね。
- ──
- でも、その「織り科」から
こんどは、どうやって「写真」の道へ?
- 石内
- 写真は、偶然。
友だちが暗室道具一式を‥‥
つまり、引き伸ばし機から、バットから、
ピンセットから、カメラから、
写真に必要な道具を持っていた友だちが、
「もうやめた」って言うんで、
私んちの空き部屋に置いてあげたんです。
- ──
- ええ。
- 石内
- それって使わなければ「ゴミ」じゃない?
でも、使えば「道具」になる。
写真かあと思って、ある日やってみたら、
おもしろかったんですよ。
- ──
- 世界的なハッセルブラッド賞の受賞者で
世界各地の美術館に呼ばれる
写真家の「はじまり」が、
「ある日やってみたら」だったんですか。
- 石内
- でね、ここでも不思議な一致なんだけど
織り科では
白い糸を染めてから織り機にかけるのね。
その、白い糸を染めるときの薬品が
暗室で使う薬品と、同じだったんですよ。
- ──
- え、偶然?
- 石内
- そう、氷酢酸という薬なんだけど、
写真も染め物かと思うとおもしろくてね。
私、その薬品のにおいが好きだったし、
だから、はじめのころは
暗室に入りたくて写真を撮ってた感じ。
- ──
- 暗室が、おもしろかったんですか?
- 石内
- だって、「世界」が、
目の前にジワジワあらわれてくるんだよ?
まるで、「世界」を、
自分の手でつくりあげているような、ね。
- ──
- 石内さんの場合、「撮りたいもの」って、
どうやって出てくるんですか?
- 石内
- 私は、もうね、個的に撮りたいものは
『Mother's』を最後に
ぜんぶ、撮りつくしちゃってるんです。
- ──
- え、もうないんですか?
- 石内
- ない。
- ──
- では、かつての「撮りたいもの」って、
どんなものだったんですか?
- 石内
- 若いころのことで言えば
私は「敵討ち」のつもりで、撮ってた。
- ──
- 敵討ち。
- 石内
- 私、横須賀の町に、敵を討ちに帰ったの。
それが、はじめのころに出した
『絶唱・横須賀ストーリー』という作品。
- ──
- まだ会社づとめだったころに撮りためた、
石内さんのデビュー作ですよね。
すでに絶版で、見たい見たいと思いつつ、
古本ではすごい値段がついてるし、
すみません、まだ拝見してないのですが。
- 石内
- あれ、説明するとめんどくさいんだけど、
ようするに「思春の傷」ですよ。
- ──
- そういう作品なんですか。
- 石内
- 私は、横須賀の町から傷を受けたわけ。
だからさ、悔しいから、
敵を討ちにカメラを持って行ったのよ。
それが「芸術作品だ」って言われて。
- ──
- 以降、本格的に写真家の道へ。
- 石内
- そうやって、
自分のなかで絶対譲れないものだとか
解決できないものを、
私はぜんぶ、写真に撮ってきたんです。
で、『Mother's』のときに
母の遺品に向き合って、
あるていど撮りつくしたなと思ったの。
もう、個的なものはいいかなって。
- ──
- それからの石内さんは
基本的には
外部からの「依頼」に応えてこられた。
- 石内
- うん、まぁ、そうだね。
『ひろしま』も、フリーダ・カーロも、
つい最近では
秋山祐徳太子さんのお母さまの遺品を
撮ったんだけど
ぜんぶ「撮ってくれないか」だから。
- ──
- その場合、「撮りたい」という動機は、
石内さんのなかに
あとから、生まれてくるものですか?
- 石内
- まず「仕事」だと思ってないんです。
「発注された仕事」という意識はないの。
ようするに、はじまりは「依頼」でも
やると決めたら、
「自分の撮影」にしていかないとダメ。
- ──
- おもしろくない?
- 石内
- そうしないと、写真なんて、撮れません。
木村伊兵衛賞をもらったあとに、
1回だけ、ある雑誌から頼まれて
撮りたくもないものを撮ったことがあるけど、
もうね、おそろしくつまらなかった。
- ──
- では、撮りたいものだけを撮る、
『Mother's』以降は
依頼を「自分の撮影」にしていくスタイルで
もう、何十年も。
- 石内
- そう言われるとびっくりするけど(笑)、
「撮り続けてる」意識は、ないな。
実際、写真なんて、
ほとんど撮ってないから、この40年。
- ──
- そんなことないでしょう(笑)。
- 石内
- そんなことあるわよ。
だって、私、
年に1度くらいしか撮ってないんだよ?
- ──
- え、ほんとですか。
じゃあ、ふだんは、撮らないんですか。
- 石内
- 撮らない。
- ──
- つねにカメラを持ってるわけでもなく?
- 石内
- 今日も持ってくるの忘れちゃった(笑)。
- ──
- ですよね(笑)。
「できたら、
愛用のカメラを持ってきてください」と
間に入っている人に
リクエストをしていたので
どこにあるのかなって思ってました(笑)。
- 石内
- ふだんは、チビカメラしか持ってないし、
ちゃんとしたカメラも
「ニコンのF3」ってのしかないしね。
- ──
- じゃあ、たとえば
1ヶ月くらい撮らないこともあったり?
- 石内
- 今年‥‥撮ったかな?
- ──
- え、いや、もう6月ですが(笑)。
- 石内
- 来月にはね、撮るんだけど。
広島で、新しい遺品が出ているからね。
- ──
- はー‥‥びっくりしました(笑)。
- 石内
- 私、展示が多いのよ、写真を撮るより。
来月からも
広島県立美術館と広島市現代美術館で
展示があるし(ともに開催中)、
今、ロンドンでも
フリーダ・カーロの展示をやってるし。
- ──
- いや、写真家というと、
「いつでもどこでもカメラを離さない」
みたいな姿が
ひとつのイメージとしてあるので。
- 石内
- 私は、そんなに‥‥あ、撮った撮った!
今年、写真、撮った。
さっき言った、ほら、
秋山祐徳太子さんお母さまの遺品をね、
ふた月くらい前に、撮りました。
- ──
- あ、それは今年だったんですね(笑)。
- 石内
- そうです、撮ってます、撮ってます。
展覧会も銀座でやります(現在は終了)。
- ──
- はい(笑)。
- 石内
- 自分でも、よくわかんないんですよね。
さっきから言ってるように
自分から撮りたいものって、もうないから。
まあ、唯一「ひろしま」の遺品だけは、
ライフワークだから、
私が撮るしかないって思ってやってるけど。
- ──
- それって、写真家としては、
「つまらないこと」では、ないのですか?
- 石内
- ううん、そんなことない。
だって、これから先、どんな人が、
私に、何を撮ってって頼みに来るのか‥‥。
- ──
- ええ。
- 石内
- 私はそれを、楽しみに待ってるから。
<おわります>
2015-08-11-TUE