21世紀の「仕事!」論。

26 造本家 マッチアンドカンパニー 町口 覚さん

第3回 東出昌大さんの写真集。

──
町口さんは、写真家の田附勝さんと、
俳優の東出昌大さんの写真集を
おつくりになりましたけど、
それを知ったときは、
まずは「意外だな」と思ったんです。
町口
ええ。
──
でも、その『西から雪はやって来る』
を拝見したら、まったく予想外の内容で、
驚きつつも納得、という感じでした。

ああ、やっぱり町口さんと田附さんだと。
町口
俳優の写真集っていろいろあるけど、
「残るもの」を、つくりたかったんです。
──
町口さんと田附さんと東出さんで、
群馬から東北にかけて、
8日間、バンで旅して撮った写真が、
まずは、すごかったです。

狩猟でとらえたイノシシを解体する
東出さんの
血みどろの手のアップだとか、
「人気俳優、
 待望のファースト写真集!」
みたいな感じじゃ全然ないですよね。
町口
そもそも東出くんの写ってない写真、
けっこう多いしね(笑)。
──
その写真のあいまあいまに挟まる
東出さんの言葉も、
すごく真に迫ってくるものがあって。

そもそも、どういう経緯で、
ああいう本が出来上がったんですか。
町口
東出くんの事務所の社長さんから
連絡もらって、
「うちの東出って俳優の写真集を
 つくってくれない?」って。

で、「誰だっけ?」とかって言って。
──
ご存じなかったんですか(笑)。
町口
いや、まあ、話すうちに
「あぁ、あの朝ドラ出てた彼か」みたいな。

それで、
「悪いけど、その東出くんが好きな音楽と
 好きな本と好きな映画を、
 5本ずつでいいから教えて」って言って。
──
ええ。
町口
それ見て「こんな感じかな」って企画書を、
東出くん宛に書いたんだよね。

テーマは「考えるな、感じろ」ってことで、
群馬から東北の狩猟やタコ漁の現場、
縄文文化とか山岳信仰とかにも触れながら、
その東出くんの姿を、田附が撮る。
──
Don’t think、feel‥‥ブルース・リー?
町口
そう、そのセリフって
『燃えよドラゴン』に出てくるんだけどさ、
若いやつが
あんまり頭で考えすぎてたら、ダメでしょ。

で、映画のなかでは
ブルース・リーに憧れる若い武道家が、
ブルース・リーに
「蹴ってみろ」と言われて蹴って、
「ちがう。考えるな。感じろ」と。
──
ええ。言われて。
町口
うん。ようするにさ、あれってのは、
大人が子どもに言ってるセリフなんだよね。
──
ああ、なるほど。
町口
それをやったらどうかなって、思ったんだ。

俺らって、ホラ、少しは「大人」だからさ、
東出くんからしてみたら。いい中年で。
──
町口さんも田附さんも、
中年って感じが一切しないですけど(笑)。
町口
東出くんが、猟師とか、漁師とか、
縄文博士とか、山伏とか、
その土地その土地の「ブルース・リー」と
出会うことによって、
「考えるな。感じろ」を体験していけば、
これからの俳優人生にとって、
すごくいい経験になるだろうなあと思った。

人気俳優を8日間、ライトバンで
2000キロ連れまわす企画だったけど、
その事務所の社長さんも
「おもしろそうだね」って、言ってくれて。
──
そのこと自体すごいことですよね。
東出さんは、どういう人でしたか。
町口
ひと言で言えば真面目。
真面目すぎるくらいの真面目、かなあ。
で、当たりまえだけど、吸収力がいい。

俺、ひとつだけ
東出くんにお願いしてたことがあって、
それは
「毎日、必ず、日記を書いてくれ」と。
──
へえ。
町口
ホラ、感じたことって、
意外に忘れちゃうから書いといてって。

で、旅が終わって、東京に帰ったあと、
「日記、見せてよ」って読んだら、
現場で感じたことを、
しっかり、身体化できてたんですよね。
──
東出さんの言葉、よかったですもんね。
町口
だからまず、
田附の写真だけでシークエンスつくって
ダミーの本をつくって、
東出くんに渡して、
「ここに、感じた言葉を書きこめ」って。

日記を「没収」したままの状態でね。
──
え、日記から抜いたんじゃないんですか?
あの本の、東出さんの言葉って。
町口
そう、あの言葉は、日記からじゃない。

東出くんの日記を読ましてもらったら、
現場で感じたことを、しっかり
身体に刻み込んだなって確信したから、
返さずに「はい、書いて」と。
──
ヒントとかサジェスチョンもなしに?
町口
真似しろという意味じゃなく、
「参考にしてみて」と言って渡したのが、
『センチメンタルな旅』って写真集。
──
あ、町口さんが復刻版の装丁を手がけた、
荒木経惟さんの「幻の」写真集。
町口
渡したのは、新潮社の『冬の旅』のほう。
で、一発で上がってきたのが、あれ。

その時点で「あ、できたな」って思えた。
──
もともと田附さんの写真は好きですし、
町口さんの装丁も
カッコいいだろうとは思ってましたが、
負けず劣らず、
「わあ、言葉がいい」と思ったんです。
町口
そうだよね。あれ、抜群にいいよ。

東出くん、写真の状況を説明してない。
彼の言葉は、
写真に写っているものを説明してない。
──
本当にこう感じたんだろうな、
という真実味に、あふれてますもんね。

ちなみに今回、なぜ、
田附さんに写真をお願いしたんですか。
町口
田附とは腐れ縁でさ、
付き合いもなんだかんだで長いんだけど、
あいつ、デコトラのドライバーとか、
東北の人たちとか、
すごくしっかりした関係性を築いていて、
なおかつ、頭で考えるんじゃなく、
「感じる」を、
カタチに残してる写真家だと思うんだよ。

だから、これまで
田附が築いてきたネットワークのなかに、
東出くんをぶっこんでやったら、
おもしろいものになるだろうなと思った。
──
田附さんからは、町口さんのお名前を
何度か聞いたことあるんですが、
お仕事されたのは、はじめてですよね。
町口
ああ、そうだね。まとまった本は初かな。

最初は、田附が
『DECOTORA』やってたときに、
「俺、デコトラの写真、撮ってるんです。
 見てください」って来たんだ。
──
あ、そういう出会いでしたか。
町口
何度か見してもらって、
「何か撮ったら、また見せに来てよ」
みたいな感じで、
ちょこちょこ、ちょこちょこ、ね、
「おお、だいぶ増えたね」
「すげぇな、がんばってんね」
「本になったんだ、よかったじゃん」
みたいな。
──
そういう関係が続いて。
町口
そう、それ以来、仲良く‥‥まあ、
仲良くっつっても友だちじゃないけど、
交流がはじまったんだよね。

『DECOTORA』が本になったから、
「お前、次、何やるんだい?」
って聞いたら、
「じつは東北をやりたいんだ」って。
──
田附さんが東北に通い出すのは、
2006年くらいからですよね、たしか。
町口
でも東北って聞いて、俺、思わず、
「おいおい、
 やめといたほうがいいんじゃないの」
って言ったんだよ、あいつに。
──
なぜですか。
町口
いや、濱谷浩の『雪国』をはじめとして、
東北の写真については、
すごい仕事が、すでにたくさんあったし。

「東北なんて一口に言うけど、
 そうそう撮れるもんじゃねぇと思うよ。
 そもそもお前、濱谷、知ってんのか」
って聞いたら「もちろん、知ってる」と。
──
ええ。
町口
「岡本太郎は知ってるだろうけど、
 柳田(國男・民俗学者)は?
「読んでる」
「内藤(正敏・写真家)は?」
「知ってる」
「お前、案外マジなんだな」って。
──
勉強家ですものね、田附さん。
町口
「そうか、そこそこやってんだな。
 でも、10年やそこらじゃ、
 終わんねぇ仕事になると思うよ」
って話をして、
それで2011年に、
『東北』って写真集が出きてきて、
おまけつきで、
伊兵衛賞ももらったよって聞いて。
──
そうでしたね。
町口
そんとき「ああ、よかったな」って話して、
「で、今は何やってんの?」
「東北の海に出て『魚人』ってやってる」
「がんばるねえ。また、東北かい」
「町口みたいにさ、自分たちで本つくって、
 どんどん海外に出て行けって、
 若いやつらにハッパかけながら、
 いっしょにやってる」
「おお、いい話だねえ」
とかなんとか、言い合ったりしてね。
──
ええ。
町口
「で、悪いんだけどさ」
「何よ?」
「印刷の見積もり、見てくんねぇかな」
とかさ(笑)。
──
見積もり?
町口
そう、わかんねえって言うんで、
あいつの印刷の見積もり見てやってさ、
「ここ削れんだろ」とか(笑)。
──
これは勝手に思うことなんですけど、
田附さんは、ずっと、
町口さんと本をつくりたかったはずだから、
うれしかったでしょうね、今回。
町口
そうかな。

それは、お互いさまだと思うけど、
仕事ってのには、そのときそのときの
めぐり合わせってあるから、
俺にもやんなきゃなんないことあるし、
田附は田附で、
撮らなきゃなんないもんあるんだから、
タイミングが合ったら‥‥とはね。
──
ええ。
町口
ま、ずっと思ってたんだけど、
今回の東出昌大くんの企画については
「そうだ、田附がいる。
 東北のことも一段落したみたいだし、
 あいつしかいねぇな」
ってことで、すぐにお願いしたんです。
<続きます>
2017-08-30-WED
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