わたしは当事者になりたいんです。
あらゆることで傍観者じゃなくて当事者になりたい。
当事者になるチャンスがあるのにそれを見すごして、
「自分が手を出せば状況がよくなるけど、
 たいへんになるからやめておこう」と
当事者にならないままでいるのはきらいというか、
わたしは、そうしないで生きてきたんです。
そのおかげで、たいへんにもなりましたけれども、
たくさん、おもしろいことがありました。
任天堂社長・岩田聡さんは「社長に学べ!」のなかで、
「わたしは批評家や評論家ではいたくないんです。
 リスクをとらないところには達成感はないですから……
 といってしまうと、根はバクチ打ちなのかなぁ」
といっていた。
一枚の絵で、何回も失敗と出会います。
そのときどう距離をとれるかですよね。
画家の横尾忠則さんは
「描いていると何度も失敗する。
 もう、この絵を描くのやめようかなぁとさえ思う。
 だけど描きつくす。
 その絵に、何が何でもという執着があると負けるけど、
 そこで、スタンスを変えられるかどうかが
 スリリングで……
 切りかえられる失敗なら大歓迎なの」
といっていた。
あたらしいことをやると、かならず失敗する。
それがいいんです。
一週間のレギュラー番組の視聴率が、
一時は百%を超えた萩本欽一さんの番組制作方法。
「あたらしい方針を思いついて話すことが最初ですよね。
 それを実行してみると、
 だいたいすべてまちがいなんです。
 ただ、いってしまったことを
 失敗に終わらせないためには、どうすればいいのか……
 ここをふんばる。正しかったんだというところに
 修正していくことのほうが、
 思いつきよりもずっと大事なんです。
 ぼくのしたことは、うまく帳尻を合わせたことですから」
あたらしいことをするためには、
何があたらしくないかを知らないといけない。
経済学者の岩井克人さんは、いわゆる学生起業家たちのいう
あたらしいアイデアは陳腐で平凡なものが多いという。
自分が何をひらめいているかをわかっていないと、
ひらめきはないと述べていた。
ふつうは、そう考えるだろう?
それがふつうなんだから、
そうじゃないことを考えれば、
おもしろいものになる。
テレビディレクターの三宅恵介さんは
「いったんふつうのことを考えて、
 それを壊すという考え方を、
 ぼくは萩本欽一さんから教わりました。
 ふつうの日常生活をできないと
 それを崩すこともできない。
 日常生活ができた上で崩すところがおもしろい」
といっていた。
近くに、アイデアは
いっぱい転がっているんです。
どこかに特別なものが
あるわけじゃないですもの。
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは
「アイデアそのものは、たいしたものではなくても、
 どこかからポッと持ってきたものを、
 いいものにしあげさえすればいいんです」
とアイデアの源泉について語った。
十年間、毎日あることをずっとやって、
モノにならなかったら、俺の首やるよ。
詩人・評論家の吉本隆明さんは
「あるひとつのことに関して、
 こうやれば食えるようになるという平均値が、
 おそらく十年なんです。
 靴屋さんだろうが小説家だろうが、
 ぼくはぜんぶ、そういうことにしちゃっています」
といっていた。
まったく無視されているぐらいの立場のほうが、
自分の意欲と好奇心さえあれば、
いろんなことが学べる。
アニメーション映画監督の高畑勲さんは
「大学を出てアニメーションの会社に入ったときは、
 ぼくの置かれた立場は、お先まっくらでした。
 ぼくが『やれ』と言われる仕事は完全な雑用だけ……
 不安でしたが、あとになると、むしろ雑用係は、
 考えようによってはいいものだと感じられました。
 軽んじられているがゆえに、どこにいても何をしても、
 別にかまわない。
 いったん勉強しようと思ったら、
 いくらでも勉強することができるんです」
といっていた。
能力がある人は、
生き方と学問を分けて処理できるはず。
ところが、私みたいに、能力が限られていると、
ひとつに全力をあげて
立ち向かっていかないといけない。
社会心理学者の山岸俊男さんは
「全力をあげてやること以外の、必要のないようなことは、
 無視するという訓練をしないといけない」
といっていた。
まぁ、いろいろないきさつがありまして、
百億円の個人としての借金が残りました。
事業が思いどおりにいかなくなると、
どんなふうになるかといいますと、
こう、自分が見ている風景の立体感がなくなって
「平面」になるんです。
においもしません。もうまったくの静止画。
朝に起きても夜になってもリアリティがないんです。
そのころぼくは
渋谷のハチ公前にTSUTAYAを作っていました。
それに加えて上場のための動きをやっていて……
だから、けっこうイケていたんです。
ただ自分がしていたことをふりかえると、
なんというか早い話が「わけわからん」!
もうあとは無我の境地です。
カルチュア・コンビニエンス・クラブ社長の
増田宗昭さんは、「社長に学べ!」のなかで、
「ぼくは無我夢中という言葉が大好きなんです。
 我がなくなるぐらいに夢のなかにいるという、
 借金の時には、まさにそんな状態でした……。
 自分のことなんか、考えることができません」
といっていた。
二四時間以上、絵を描いているやつは
世界中にいない。
時間をかけてやっていれば絶対いける……
会社をやめてイラストレーターになる頃の
自信のよりどころはそこでした。
イラストレーターの田中康夫さんは、
結局、絵は続けられるか続けられないかが
分かれ道だといっていた。
「ぼくは一日二四時間でも、自分のスタイルで
 絵を描き続けられるんです。
 二四時間描くやつも、いるかもしれないけど、
 それをやっていけば、世界一位タイですよね」
いいものが生まれるプロセスは単純です。
誠実で才能のある人を立てて、
その人をみんなが助けて作る。
それ以外には、ないですよね。
アニメーション作画監督として著名な大塚康生さんは
「ただ集まっただけで、話もロクにしないで、
 それぞれ自分勝手に作っているような状況では、
 長編だろうと短編だろうと、うまくいかない」
とチーム仕事としての
アニメーションづくりを語ってくれた。
肯定って、強いです。
今のような時代は、
肯定を探すだけでも力技ですし。
ものを作って送りだすことは、
肯定がなければできないことでしょう。
作家の重松清さんは
「否定ではじまるものって、
 そんなに長くは続けられないと思います。
 一発目は衝撃があっても、ニ発目三発目とつづけるうちに
 きつくなっていくのではないでしょうか。
 否定のための否定を探すようになりますから」
といっていた。
純粋なことだけ教えて、
すばらしい力を宿すかというと、
宿さないんです。
料理人の斉須政雄さんは
「いいことをできる人は、悪いことだってできます。
 ぼくはみんなに、いい子になるな、って言いますよ。
 いい子は、弱いから。いい人であるだけでは、
 あるべき姿のレストランを維持できません」
と言っていた。
ものごとは、
古いかあたらしいかの問題じゃない。
いいきるやつ、やりきるやつ、
貫ききるやつが豊かなんだ。
矢沢永吉さんは
「古いとされているものには、捉え方一つで、
 感じ方一つで、カネが埋まってんのよ。
 これ、俺の分野の話をしてるようだけど、違う。
 すべてに言えると思う。
 どの世代でも、みんなが、
 自分で言いきっちゃうようなワガママさが出てきたら、
 本当の意味でのおもしろい時代が来るかもわかんない」
といっていた。
正義であるとか、
こうしなければならないとかいうために、
自分の生き方を規制されるっていうのは、
結局、言葉だけを信じて
生きているみたいなもんですから。
タモリさんは、
「ぼくは、なんとか生き延びるっていうことが最優先です。
 観念によって、生き方が規制されるっていうのが、
 あんまり、よくないですね。
 お題目になっちゃうし、たのしくもないことなんですよ」
といっていた。
漫画家には
かならず初期のヘタな時代ってありますけど、
すごいんだ。
それぞれ、みんなおもしろい。
みなもと太郎さんは
「漫画家の初期の時代って、
 『これで、原稿料取ってるの?』
 というような絵なんだけど、その頃がたのしいんですよ」
といっていた。
大事なのは、どきどきすることだと思うんだよ。
「どきどきするから、やっているんだ」
といわれたほうが、ぼくは感動するな。
俳優の小林薫さんは
「芝居をしたいと思って、実際に自分でやってみたら、
 どきどきして、おもしろかったという
 最初の原点があるじゃないですか。
 ぼくは、演劇なんてもともと、
 食える食えないという世界じゃなくていいと思う。
 食えている、食えていないはどうでもいいと思う。
 収入が欲しいとか名誉欲とかが演劇にあると、
 何が大事かが、変わってきちゃうかもしれない。
 自分でおもしろがっていれば、それでいい」
といっていた。
翻訳って、すごい時間がかかるんです。
自分の名前が、本に出るのをよろこぶことなんて
ほんの一瞬です。
家でコツコツやる時間が肝心で、
好きだからできることなんです。
翻訳家の田口俊樹さんは、翻訳家のやりがいについて
「仕事の内容としては、地味ですし、
 毎日コツコツやらなきゃ終らない職業です。
 ムラがあったらできないし、長続きしない仕事ですから。
 好きでやっていることなら、成功してもしなくても、
 自分として納得ができる」
といっていた。
一生懸命向かってくる相手は、
敵として、こわいです。
一生懸命な人は、逃げないですから。
ある音楽プロデューサーは
「仕事をずっとやっていると、
 仕事の効率がいい人とか頭がいい人とかいうよりも、
 一生懸命さのある人と組んだほうが
 何よりもほんとうにいい仕事をできる、と
 わかってきます。
 真剣にやっている人の仕事は、たとえ未熟だとしても
 気持ちがいいし、やはり、一目おく価値があります」
と痛感した経験を語ってくれた。
試合でいちばん必要なものは自信なのですが、
その自信はどこからくるかというと、
体からくるんです。
格闘家の高阪剛さんは
「トレーニングはぜんぶ
 自信を手に入れるためにやっています。
 高いレベルの技術があっても、
 パワーのある体を持っていても、
 本人が自信を持っていないと
 まったくムダになってしまう。
 自信がない限り、動作に遅れが生じてしまう。
 技、仕掛けるタイミング、気持ちの切り替え……
 それらのスピードに必要なのが、
 曇りのない自信なのです」
といっていた。
選手は何を背負って
グラウンドに来ているかわからない。
ですから声をきくんです。
いい声か、うしろむきの声か。
まずいときは、冗談をいったりして、
気分を変えないと。
藤田元司・元巨人軍監督は、監督時代、
選手たちがグラウンドに飛びだしていくときの声で、
それぞれの選手のその日の調子を
たしかめていたのだという。
「悪いものを背負っていると人に伝染します。
 それをいいほうに持っていかないと、
 いい仕事をしてもらえないわけです」
自分のやることには
理由がなくてはいけないと思っているし、
自分の行動の意味を、
かならず説明できる自信もあります。
大リーガーのイチロー選手は
「それができるようになったのは、
 かつての苦い経験があるからなんです。
 自分がやっていること自体よりも、
 人に評価をされることを望んでいた自分が
 いたということです。
 ぼくは自分のやっていることを
 自分でわかっているはずでしたが、
 新聞を読むと舞いあがってしまう。
 その時点で自分を見失っているんです。
 人からチヤホヤされることが気持ちよくなってきちゃう。
 あれが、よくなかったですね」
といっていた。
小説を書いていて、はっきりつかめたのは、
自分がおもしろいと思ったものは、
読む人もおもしろいらしいということです。
作家の天童荒太さんは
「単純なようだけど、ものを表現する人は、
 これをつかむまでに時間がかかるのではないでしょうか。
 これをつかめたことは大きかった。
 確信があると最終的に粘れるから。
 売れゆきについてはわからないけど、この作品は、
 絶対に今までにないおもしろいものだという
 自信はあるという地点を、
 堂々と、目指せるようになった」
といっていた。
怒っても、運なんて来ない。
怒っても、誰かのために骨を折りたくなる
つながりは生まれない。
肯定的な手紙は、番組スタッフに活力を与える、という
萩本欽一さんの言葉。
「人や笑いは、たのしいことをやってますね、という
 一枚のハガキでがんばれるんです。
 二枚あったら、二倍、がんばれるの。
 ラジオにハガキを書いてくれたやつが
 放送作家になったりしている……
 何かを発信するとしたら、
 そのほうがずっと得だと思うんです。
 知らないどうしの人間がつながるというのは、
 やっぱり、怒ったところでつながりは出ないんです」
思いだすと、どんな天才でも、
先が見えてなかったともいえるんですよね。
テレビマンの土屋敏男さんは
「松本人志は、たしかに天才でしょう。
 ただ、ぼくなんかが思い出すのは、一七年前に松本が
 『ぼくら、売れますかね?』ときいてきた時です。
 ぼくが『売れたいと思うヤツは売れない、
 オレは絶対に売れるというヤツだけが売れるらしいぞ』
 といったら、松本は『ぼくはツービートよりも
 おもしろいですからね』と、いいだしました。
 それぐらい、先が見えていなかったとも
 いえるんですよね。松本のような天才でさえも」
といっていた。
文句をいいたいときは、
そこにチャンスがあるんです。
不満に思ったわけだから、
解決法があるかもしれない。
そう考えると、
すべてのことがおもしろいんじゃない?
ロッテ・キシリトールガムなどのデザインを手がけた
デザイナーの佐藤卓さんからすると、
お役所仕事さえも、それをどれだけ早くやれるかなど、
工夫する余地はあるという。
自分の書きたいことは、わからないんです。
きっと、あるんでしょうね。
あるんですけど、そこは言葉にしちゃうと、
書かないでよくなっちゃうから。
作家の川上弘美さんは、書きたいことについて
「言葉にしちゃうことは、何かに区切りをつけることで、
 定義をつくっちゃうということだから、
 それはきっと、したくないんですね」
とこたえた。
自分が一歩前進できたか、向上できたかどうか。
結局は、なにかをやるときには、
これが大事なんです。
これさえあれば
生きていけるのではないかと思います。
アニメーション映画監督の高畑勲さんは
「他人と比べるよりは、自分が
 『これをやってよかった』と感じられるかどうかが、
 確かに前進しているという基準になると思います。
 実はこの『自分との比較』というのは、
 子どもの頃から非常に大事なことなのではないかと
 思っています。
 他人と比較をすれば、どの時点でも上はキリがないです」
といっていた。
やっぱり、目の前にいる人は
愛さないとダメやなと思う。
愛することと、愛されることで、
信頼と自由が生まれる。
認めてやることで
すごく仕事ができるようになるんです。
笑福亭鶴瓶さんは、番組で組む若手の芸人のいうことを
「おもろい」と受けとろうと試みているのだという。
「そうすると相手はその番組で脚光を浴びれる。
 それをお笑いの人間が見る。
 おまえどこがおもろいねんとかいうてた連中も
 その番組を見ておもろいと思う。
 そういう切符を一度もらうと
 どこに行っても自信があるから、
 他の連中に認められるようになる」
理性的な発言っていうのは、
人の心に入ってこないんです。
感情がこもった発言のほうが、
相手の心の中に入る。
感情をこめるとこめないのとでは
印象がまったく違います。
作家の米原万里さんは、
ロシア語同時通訳者の経験をふまえ、
「言葉を出すときのメカニズムというのは、
 言葉にならない状態があって、
 言いたいことや考えや感情や何となく形づくられてきて、
 やっとそれをいいあらわすのにふさわしい
 言葉とか言い方とかスタイルといったものがまとまって
 声になって出るんです。
 感情のプロセスを全然経ない、表面だけの言葉には、
 裏がない。言葉が生まれるプロセスを経ない。
 残骸みたいな言葉なんです」
といっていた。
他人の評判を気にしていると、
そこそこのことはできますが、
ほんとうにオリジナルなことは、できません。
社会心理学者の山岸俊男さんは
「常に人の評判を気にする研究者は沢山いますが、
 そういう人は学問も評判に引っ張られて、
 学問的なオリジナリティーもあまりなくなります。
 私は、他人の評判でなく自分の原理で動く生き方が
 かっこいいと思います」
といっていた。
2005-04-12-TUE
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