21世紀の「仕事!」論。

23 靴磨き職人

第3回 弁償した靴、12円の黒字。

──
あれ‥‥あの靴、弁償したんですか?
山邊
はい。
──
ちょっと見せてもらっていいですか。
山邊
だめにしちゃったんです。
──
どこを?
山邊
ここ‥‥つま先、わかりますか?
色が変わってる。
──
ああ、白っぽくなってますね。
山邊
手で触っても、ガサガサしてるんです。

アンティーク加工といって、
生産時、長く履いた風合いを出すために
つま先にだけ
濃い色を入れているんですが、
これを「取ってほしい」というご注文を
いただいたんです。
──
アンティーク加工を、取る?
山邊
そうなんです。
最初は「汚れた」って言われたんですが、
「でも、これ、
 アンティーク加工っぽいけどな」とは
思っていて。

でも「わかりました」と引き受けまして、
いろんな方法を試して
つま先の「汚れ」を取ろうとしたんです。
──
本当は「アンティーク加工」なのに。
山邊
2回、3回‥‥ちょっと強めに磨いても
まったく落ちないので、
販売店に聞こうかとも思ったんですが、
それを怠って、
さらに洗ったりしていたら
どんどん色が変わってきてしまったんです。

ああ、これはまずい、元に戻そうと思って
今度は栄養剤を塗ったりしたんですが
気づいたときには手遅れで
革が、紙みたいな感触になっていたんです。
──
マズい展開ですね。
山邊
そのときは、3日間くらいの日程で
路上で営業していたんです。

せっかく来てくれたお客さんだったので
すごく悲しくなりました。
結局「弁償してほしい」とのことだったので
そうしたんですが、
その靴って「3万円」くらいする代物で、
3日間の路上で稼いだお金が
ぜんぶ、吹っ飛んでしまったんです。
──
ぜんぶ。
山邊
たくさんお客さんが磨きに来てくれて
うまくいってたのに、
売上すべてが、パァになってしまった。
──
たった一度の失敗で。
山邊
もう、本当に悲しかったです。

あとになって、
その靴を買ったという店に行って聞いたら
「ああ、あれはアンティーク加工だから、
 取れないよ」って言われました。
──
じゃあ、どうやってもダメだったんですね。
山邊
「あの加工は、染料を
 熱で革に入れているから無理ですよ」と。

そのとき、本当に、心の底から
「めんどくさがらずに
 聞きに来ればよかった」と思ったんです。
──
でも、忙しかったわけでしょう。
山邊
いや、忙しいとか、プライドとか、
恥ずかしいだとか、
そんなこと言ってらんないよと思いました。

だって、3日間の売上はパァになるし、
革は紙みたいになっちゃうし、
お客さんからも、すごく怒られてしまったし。
──
ええ‥‥そうですね。
山邊
ぼくに靴磨きを教えてくれた人も、
路上でやってるっていうから
わざわざ見に来てくれたんですが、
失敗した靴を見るなり、
「ちょっと君、これはよくないよ」って
たしなめられました。

それが、1年目の終わりくらいのことで、
だいぶ「こうなってた」のを
みごとにボキッっと折られてしまって。
──
え、「天狗」になってたの?
山邊
はい、なってた‥‥と、思います。

ちいさいけれどお店を構えて、
お客さんも来てくれるようになっていたし、
それこそ16歳で
高校を中退して店やってるってことで
地元の新聞が取材に来てくれたりしたので。
──
そうなんだ。
山邊
勘違いしていたんです。

ぼくに取材に来てくださるっていうのは、
すごいことでも何でもなく、
ただ「目新しい」というだけだったのに。
──
なるほど。
山邊
そこで「初心に帰ろう」と思ったんです。

磨きかたも、慣れてきて
ちょっと「自分流」みたいにしてたのを
最初に教わった手順に戻しました。
──
じゃあ、それ以来、この靴は、
自分への戒めとして置いているんですか?
山邊
そうです。

「失敗が、ぼくのことを見下ろしている」
という感じで、
この店でいちばん高い場所に置きました。
──
神棚みたいな位置に。
山邊
ぼくが犯した失敗なんですけど、
失敗のほうが、
ぼくより上にいると思ってます。

そこに置いてあると、
「おまえ、わかってるだろうな」
「俺のことわかってるだろうな」
みたいに、
失敗に言われている感じがするんです。
──
あるいは、山邊さんの仕事ぶりを
見守ってくれてるみたいですね。
山邊
そうかもしれません。
──
お店を開いて、すぐには
お客さんだって来なかったと思いますが、
きっかけは、やはりマスコミの取材?
山邊
その影響は、やっぱり大きかったです。

すごくありがたかったんですが、
ただ、最初に出た新聞記事の見出しが
「16歳、難聴を乗り越え開店」で。
──
え。
山邊
「ああー、やられた」と思いました(笑)。
「テレビでよくある、
 病気を乗り越えるパターンのやつだ」と。
──
事実を並べているのかもしれないけど、
そう書くと、意味合いが、ちょっとね。
山邊
でも、それはまだいいほうで
もっと刺激的な書き方をする媒体もあって、
「何か、やだなあ」と思ってたんですが
嬉しかったのは、お客さんが、
別に慰めに来てるわけじゃなかったってことで。
──
靴を磨いてほしかった。
山邊
そうなんです。
──
お客さんからしてみたら
ごく「当たり前のこと」だと思いますが、
そういう記事のあとの本人としては、
その「なんでもなさ」が、うれしいですよね。
山邊
はい、うれしかったです。

「がんばってらっしゃるんでしょ」とか、
そうじゃなくて、
「がんばってらっしゃるのは知ってます、
 それはさておき」みたいな。
──
「靴、磨いてもらっていいですか」と。
山邊
そう、
「大事にしているブーツが
 ちょっと大変なことになっちゃって。
 店ができたっていうから
 来てみたんだけど、これ何とかなる?」
「一生懸命やらしていただきます」
みたいな、
そういう「ただの仕事のやりとり」が、
本当にありがたかったです。
──
ちなみに、これは聞こうと思ってきたので
ちゃんと聞きますけど
こちら、ご商売としては、どうなんですか?
山邊
今は、何とか、黒字です。本当に、何とか。
──
おお。
山邊
いや、開店以来ずっと赤字続きだったので、
ケバブ屋でバイトをしたりしてたんです。

だから
「俺はまだ、これで食えてるわけじゃない」
ということは、強く自覚してました。
──
ああ、そうなんですか。
山邊
「じゃあ、俺は、
 何のために靴磨きをやってるんだ」って
ずっと考え続けていたんですけど、
はじめて黒字化したときは、
大げさじゃなく、涙が出てきました。

どんなに失敗しても泣かなかったんだけど、
黒字になったときは、泣けてきました。
──
それはいつなんですか? 初の黒字って。
山邊
ついこの間ですよ。去年の暮れ。
──
いくらの黒字?
山邊
「12円」です(笑)。
──
それは‥‥泣ける。
山邊
合計欄のところで「‥‥あ、12だ」って。

それまで「赤いペン」しか必要なかったけど
そのときはじめて、
「黒いペンはどこだ!?」って探して(笑)。
──
うれしかった、ですか?
山邊
もちろんうれしかったですし、
お客さんの顔が、みごとに浮かびました。

よく「お客さんの顔が、浮かんだんです」
とかいうセリフありますけど、
あれ、「ホントかなあ」って思ってたんです。
──
ええ。
山邊
でも、はじめて「12」の黒い字を見たとき、
常連さんたちをはじめ、
お客さんの顔が、みごとに浮んだんです。
<つづきます>
2015-12-08-TUE
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