ひとりでビルを建てる男。
ひとりでビルを建てる男。
岡啓輔さんの、
手づくりビルができるまで。

「都内に小さな土地を買い、地下1階地上4階の家を
2〜3年かけてセルフビルドで作ります。
鉄筋コンクリート造で、完成形は決定しておらず
現場で即興的にデザインしてゆきます。
岡啓輔39歳、セルフビルダー、一級建築士」
そんなメールが「ほぼ日」に届いたのは2005年のことでした。
「SDレビュー」という建築のコンテストで
“藤森照信賞”を受賞したこのとんでもない計画、
ほんとうに、本人の労力と、
たまに来てくれるともだちの手伝いだけを頼りに、
「自分でビルを建ててしまおう」というものなんだそうです。
建築の世界でも注目されているというこの冒険を、
竣工予定の2009年まで、
「ほぼ日」で追いかけてゆくことにしました。
なお、レポート担当は、建築ジャーナリストの
磯達雄(いそ・たつお)さんです。
なにが起こるかわからないけど、がんばれ岡さん!
最新の記事 2011/06/17

【32】震度5弱。その時、工事現場は



▲前面道路から見た工事現場の全景。
 2階の床が出来上がりつつある

■ここが一番、安全

3月11日、岡さんは手伝いに来ていた学生といっしょに、
蟻鱒鳶ルの現場で作業をしていました。
最初の大きな揺れが来た時は、
ちょうど休憩中だったといいます。

隣のマンションからは、
ガシャガシャーンと何かが壊れる音が聞こえてきます。
近くで工事中の高層ビルでは
2基のクレーンがぶつかり合っていました。
この建物も、まるで嵐の中の舟のように、
グラングランと揺れました。

「それはもう怖かった。
 学生が『岡さん、逃げましょう!』と叫んだけど、
 『いや、ここが一番安全だから』と言い返して、
 現場に居続けました」

強気なところを見せたものの、
心のなかでは不安もよぎりました。
建物が崩れることはないにせよ、
どこかにひびが入るのではないか。
特に1センチぐらいの幅で柱が接しているところは、
割れてもしかたがないでしょう。
壊れるのなら、どこがどう壊れるのか、
自分で確かめておきたい、
そんな気持ちで目を凝らしていました。

しかし、一本のひびも入りません。
現場に積んである材料が崩れることもありませんでした。
岡さんは「ホッとすると同時に、うれしかった」
と言います。


▲現場の奥にはねじれながら伸びる
 2本の柱が交差している。
 地震による被害が心配されたが壊れなかった

■伝統的な材料での建築復興を

地震の後、工事を手伝っている大勢の仲間が
被災地へボランティア活動のために出かけました。
岡さんも、1995年の阪神大震災のときは、
寝袋をもって神戸に行っています。
今回も被災地で何かやらないといけないのではないか。
ずいぶんと悩みましたが、結局は東京に留まって、
自分の現場で頑張ろうと決心しました。

しかし仕事をしながらも、
ついつい東北のことに思いがいってしまうといいます。
被災地をどのようにして復興していくべきなのか。
どんな建築をそこに建てていけばいいのか。

岡さんが考えるのは、
昔ながらの土と木といった
伝統的な材料だけで建築をつくったらいいのでは、
ということです。
そうすれば有害な化学物質に悩まされることなく
健康的な暮らしが送れるだけでなく、
仮に再び大津波が来て、建物が流されたときでも、
やっかいなガレキが最小限で済みます。

「でも現実的には、復興を早く進めたいという理由から、
 従来通り新建材が使われてしまうのでしょうね。
 これだけの震災があっても、
 建築のあり方を変えるのは難しい」

■200年残る建築とは

今回の震災で明らかになったのは、
数百年に一度起こる災害というものに対して
建築がどう立ち向かうのか、
そのことがほとんど考えられないままに
建築がつくられてきたという事実でした。

岡さんは、蟻鱒鳶ルを
200年先まで残る建築として構想しました。
それは200年に一度、
来るか来ないかという大災害がやってきても、
それに耐える建物をつくるという覚悟でもあります。

岡さんがふと思い出したのは、
民間のコンクリート研究者がこの現場を訪れた時のこと。
使っている砂利の産地を聞かれたので答えたら、
そこの砂は日本で一番いい、と教えてくれました。

具体的にどういう点がいいのか、と聞き返すと、
「あそこの砂は放射線の遮蔽性能が
 圧倒的にすぐれている」との返答。
「そんな性能、欲しくもないよ」
とその時は思った岡さんですが、
今となってはありがたいと
思うようになってしまいました。

「イヤハヤ、ひどい世界に突入したものです」


▲工事現場の2階に立つ岡さん

 


岡さんのプロフィール
磯さんのプロフィール

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