21世紀の「仕事!」論。

27 行司 34代 木村庄之助 伊藤勝治さん

第4回 朝青龍と白鵬の大一番。

──
50年以上行司をやってこられて、
思い出に残っている取組って、ありますか。
伊藤
相撲そのものじゃないんだけど、
今も思い出すのは、朝青龍関と白鵬関の大一番。
──
おお、行司の最高位・木村庄之助でないと、
さばけない取組ですね。

でも、相撲そのものじゃない、と言うと?
伊藤
たぶん、見てる人は気付いてないんだけど、
突拍子もないことが起こりそうになった。
──
それは‥‥いったい何が。
伊藤
あれは、1月場所の、千秋楽の取組でした。
横綱の朝青龍関と、
横綱に昇進したばかりで元気一杯の白鵬関が、
顔を合わせた相撲でね。

懸賞が、50本以上かかってたんです。
──
懸賞というのは、
お金を出した企業の大きな幕を持った人が‥‥
あれは、呼出さんですかね?
伊藤
そう。
──
懸賞幕を持った呼出さんが、
取組の前の土俵のまわりをグルグルまわる、
あの、アレですか。
伊藤
そうです、アレです。

で、通常、千秋楽というのは、
だいたい5回から6回、仕切り直すんです。
──
ええ。
伊藤
あの相撲では、
懸賞がそんなにたくさんかかってたんで、
1回で土俵をまわりきれず、
2回、懸賞が土俵をまわったんです。

で、その、懸賞の1回目がまわっている最中、
「ひがぁ~し~」と言って、
両者が四股を踏んでるときに朝青龍関を見たら、
「あれ? 立つの?」って。
──
立つ‥‥というのは、
お相撲が、はじまっちゃうってことですか。
伊藤
そう、一回目の仕切りなのに、
朝青龍関、気がはやって立つ気満々なんです。
まだ懸賞がまわってんのに、ですよ?

で、「これは危ないぞ」と思ったんですが、
まだ、白鵬関が目線を上げてなかった。
──
おお。
伊藤
で、白鵬関が目線を上げたときには、
もう、朝青龍関のほうは気が抜けてたんです。
つまり、一回目では立たなかった。

でも、そのとき白鵬関は気がついたんですよ。
「これは来る、朝青龍関は立つ」と。
で、二回目の仕切りで、
こんどは両者とも、立つ気満々になってる。
──
おお、おお。
伊藤
もう、わたしも半分、足を引いていました。
「このふたりは、立つ」と確信して。
──
懸賞は‥‥。
伊藤
まだ、まわってる。

でも、そんなこと、ふたりには関係なくて、
いよいよ立つかと思った瞬間、
ポロっという感じで、
朝青龍関の「さがり」が一本、落ちたんです。
──
えっと、さがりと言いますと、
まわしについてる、シャラシャラしたやつ。
伊藤
そう、立つと思った瞬間に、
さがりが落ちたことで朝青龍関の気がそれて、
結局、二回目も立ちませんでした。

でも、あれで、さがりが落ちなければ‥‥
どうなっていたかは、わからない。
少なくとも朝青龍関は、
一回目の仕切りで立って、
一気にカタをつけようと思ってたはずです。
──
そういうことは、土俵の上の雰囲気で‥‥。
伊藤
ええ、はっきりわかるんですよ。

あれだけ至近距離にいますから、
力士の「気」が、直に伝わってきますから。
──
うわー‥‥。
伊藤
で、そんなことがあって、
しばらくしてから朝青龍関に聞いたんですよ。

そしたら、やっぱり「立つ気だった」って。
──
それは本人にたしかめたんですか。
伊藤
そりゃそうでしょ、本人に聞かなきゃあ。
他の人に聞いたってわかるわけないから。

そしたら、案の定、
初口(しょっくち)で行くつもりだったと。
で、白鵬関にも聞いたら、白鵬関のほうは、
初口(しょっくち)で立つ気はなかったと。
──
伊藤さんの感じたとおりですね。
伊藤
気配。目の動き。息遣い。
そんなもので、だいたい、わかるんですよ。
立つのか、立たないのか。

相撲内容じゃないけど、あのときの緊迫感、
いまだに覚えている一番ですね。
──
まだ懸賞がまわっている状況で、
相撲がはじまっちゃったことっていうのは、
大相撲の歴史上‥‥。
伊藤
ない。あのときふたりが立てば、
後世にまで語られる珍事になったでしょう。
──
もし、立っちゃったら?
伊藤
行司の、つまりわたしの
「はっけいよい、残った」って声が聞こえれば、
懸賞幕を持った呼出は、
あわててバラバラ土俵の下へ降りたでしょうね。
──
伊藤さん的には、まだ懸賞がまわってるわけで
「立っちゃったら、どうしよう」
といったような気持ちも、あったんでしょうか。
伊藤
いや、立ったらやるしかないです。
──
しょうがない、と。
伊藤
ええ、いいも悪いもありませんよ。
息が合ったら立たせるのが、本来の姿だから。

合わないから時間一杯まで仕切ってるわけで。
──
いやあ、聞いてるだけでハラハラしますね。

ちなみに伊藤さんは、行司の最高位である
木村庄之助をつとめたわけですが、
その下に、式守伊之助がいるわけですよね。
伊藤
そうですね。
木村庄之助の方が、式守伊之助より、半枚上。

その下には式守勘太夫、
さらにその下には木村玉治郎‥‥と続きます。
──
半枚。
伊藤
そう、相撲の世界には同じ位置はないんです。

横綱にしたって、
東の正横綱、西の横綱、張出って序列がある。
東の筆頭と西の筆頭なら、東の筆頭が半枚上。
──
なるほど。
伊藤
それは力士だけじゃなくて、
行司も床山も呼出も、上下は全員が知ってる。

誰にも何にも言われなくたって、
自分がどの位置に立つのか、みんな知ってる。
──
先ほど、ちょっとおっしゃってましたが、
徹底的に序列社会なんですね。
伊藤
タテ一列です。だからラクなもんですよ。
──
ラク? 大変じゃないですか?
伊藤
いや、みなさんがたよりずっとラクです。

だって、歴然とした序列が決まってれば
変に忖度なんかせずとも、
誰が上座で誰が下座かがハッキリわかる。
物事ってのは、
そうなってると進みやすいんですよ。
──
なるほど‥‥。

では、行司の最高位までのぼりつめた
伊藤さんから見て、
行司とは、どんな仕事だと思いますか?
伊藤
うーん、そうですね、まあ、接着剤かな。

相撲の世界には、力士はもちろんのこと、
たくさんプロがいます。
進行役の呼出、髪を結う床山、
親方、世話人、そういう人たちの仕事を、
土俵の上で、
最終的にひとつに「接着」するのが行司‥‥
そんな感じでしょうかね。
──
それが、伊藤さんの行司観。
伊藤
大事なのは、行司をやるときには、
絶えず、冷めた目で相撲を見ることです。

一歩引いて見る。勝負にのめり込まない。
熱気の渦に、取り込まれない。
──
はい。
伊藤
どんなにいい相撲であっても、
どんなにおもしろくない相撲であっても、
一歩だけ、引いて見る。

すると軍配は、無意識に上がるもんです。
写真提供 伊藤勝治
<終わります>
2018-02-02-FRI
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