(9月29日)
・中学生のとき、僕たち3人は
当時人気グループの「シブガキ隊」の
むこうをはって、クラスの仲間から
「ホシガキ隊」と謂われていました。
体操の時間、鉄棒のとき
何もしないで(出来ないで)、
ただぶらさがっているだけだったからです。
あのときの他のふたりどうしてるかなあ。
(ボケナス)
・私が通っていた小学校は
山の斜面を切り開いた土地にあり、
登校時には20度はあろう
急な坂道を50メートルほど
上らなければなりませんでした。
その坂道の脇には
セイタカワダチソウが群生しており、
このぐらいの時期になると
黄色い花を咲かせるのですが、なぜか、
「セイタカワダチソウの花粉を吸い込むと死ぬ!」
という噂が生徒の間で代々受け継がれており、
みんな、息を大きく
吸って!止めて!坂道を猛ダッシュ!
して登下校してました。
(でも必ず途中で息継ぎしちゃうから
意味ないんですけどね)
今なら、そんな危険なものを
学校が放置しているわけがないと
冷静に判断できるのですが。
小学生って、ムダに体力あるよなぁ。
(みお)
・小学生のとき、かくれんぼをしていて、公園の
草むらにあおむけに寝転んで、じーっとしていたら
景色に緑色のフィルターがかかったみたいになって、
空が透明なグリーンに見えました。
雲も柔らかい緑色で、静かなシーンとした空間ができて、
こわいような、幸せなような、
たぶん30秒くらいの時間がありました。
一度だけ、そのときだけで、その後は同じことをしても、
ぜんぜん緑に見えませんでした。
(かねきゅー)
・小学1年の夏休み直前。
計画性のなかった私は
終業式の日にありとあらゆる荷物を持ち帰るハメに。
アサガオ、絵の具の道具、画板、算数セット・・
自宅までは30分。
炎天下、途中で喉が渇いて死にそうになり、
目の前の見ず知らずのお家に転がり込んだ。
「み・みずをいっぱいのませてください・・。」
親切なその方は氷入りカルピスを出してくれました。
帰り際「このごおんはいっしょうわすれません!」と
丁重にお礼を言って帰った。
先日通学路沿いにある我が家へ、
見知らぬ子供が、お腹が痛くて
トイレを貸して下さいとやって来た。
そうして、私はようやく
20数年前のことを思い出したのだった。
(和子)
・林檎はアップル、みかんはオレンジと言うように
自分の名前も英語にすればキャサリンだとか、
エリザベスのような
素敵な英語の名前になると思ってました。
しかし、どんなに親に問うても困り顔。
10個年の離れた兄が、切ない瞳で切々と
説明してくれたのが、ちょっといい思い出です。
(ぐう)
・小学生の頃、田舎のトイレは
汲み取り式でしかも離れにありました。
小さな裸電球、穴が開いていて板が渡してあるだけの
「コエダメ」は、それはそれは恐ろしいトイレでした。
夜中にウンチがしたくなりましたが
とても恐くて行けません。
・・・・風呂の流し場で
処理してお湯で流しちまいました。
ごめんなさい。
(徳左衛門)
・2つか3つぐらいの頃に
母と一緒にお風呂に入った時に
「たいへん!!あんたお尻ふたつに割れてるで!」
といわれ、号泣しながら
「どないしよ〜〜〜!!」
と本気であわてたんです。
「お母さんのも見せてー!」とせがみましたが
巧みにかわし、自分のお尻は見せない母。
数日後、今度は父とお風呂に入り
「お父さん、お尻、見せて?」と
お願いして見せてもらい
「お父さんもわれてるわ〜よかったぁ〜」と
心の底から安心してお風呂から上がりました。
数分後、しょうもないことで父に怒られる母の姿が。
現在、実家でその話になると
「あんたは小さい頃、変なトコで賢かったんや」
と、ほめてるんだかなんだか
解らない言われ方をします。
今は話ながら大笑いなんですが、
当時は相当焦ったんだろうなぁ。
(Yuki)
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(ミニコメント)
子どもだけが味わう不思議な時間。
自分だけの歴史を振りかえるときに、
「あの不思議な経験って、なんだったんだろう?」
という記憶は、なんだかとても大切なものですよね。
すごくたくさんの人が、そういう、
不思議な感覚を大切にされているんだなぁ、と、
このコーナーに寄せられるメールを読んでいると、
強く実感するんです。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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