3月(3月12日〜)
余震についての経験則(3月12日)
光の方向を向いていよう(3月13日)
寄付に関する6つのツイート(3月13日)
ミーティングをします(3月14日)
「右往左往」ではなく(3月15日)
自分を小さなリーダーに(3月16日)
視点を変えてみました(3月16日)
娯楽はもっと後ではないか(3月17日)
ヒントは希望のなかにある(3月18日)
マネジメント的に節電を(3月19日)
怖いものの順番(3月19日)
他人をにらむな、指さすな(3月20日)
これまで以上に、よくなるよ、日本。
(3月21日)
『ヨブ記』の投げかける問い(3月22日)
どういう人間になりたいか(3月23日)
じぶんのリーダーは、じぶんです
(3月24日)
じぶんの「好き」(3月25日)
忘れちゃいけない(3月26日)
言えることだけ、言おう
(3月27日)
被災地で働いた看護師さんの日記
(3月28日)
長丁場(3月29日)
「泣くな」とは、言わない
(3月30日)
つながりながら動く(3月31日)
4月
迷惑にならない役に立つこと
(4月1日)
まずは、拍手すればいい
(4月2日)
似てませんか(4月3日)
「愚痴」と「慰め」(4月4日)
「自己肯定力」(4月5日)
元気で仕事してれば、
何かの役には立つ。(4月6日)
豆腐は豆腐屋。(4月7日)
「祈る」ということ。(4月9日)
『ばかをばかにするなの歌』(4月10日)
すこし気を抜こうと決めました(4月11日)
戦い方がきれいだということ(4月12日)
「都の大地震」と 「この世」(4月13日)
「じぶんから目を 離す」(4月14日)
「不安」と「じぶ ん」(4月15日)
くらべることを、 やすんでみる。
(4月16日)
じぶんの距離で悲しむ。(4月17日)
顧客の創造(4月18日)
ほんとうの意味での「強み」(4月19日)
「立場」と「ゆだん」(4月20日)
速度を落とします。(4月21日)
「じぶんの速度」(4月22日)
忘れられてないということ。(4月23日)
「おまえは、泳げるんだ!」(4月24日)
「祈りの時間」を
まとめませんか(4月25日)
「戦争」に匹敵する(4月26日)
荒地から芽吹く(4月27日)
いい本(4月28日)
5月
震災以後の時間の単位(5月2日)
100やれそうなら、
130やれないものか
(5月3日)
「考えのちがう人」であっても
(5月4日)
「ほんとのこと」を言う、
ひとつの方法
(5月6日)
できることを、
しっかりこつこつやっていく
(5月7日)
被災地に来る理由(5月8日)
「すばらしいオマケ」(5月9日)
忘れないこと(5月10日)
静かな「ふつう」のもの(5月11日)
そこに「いっしょにいる」(5月12日)
『セキュリテ被災地応援ファンド』
(5月13日)
3月の原点にもどる(5月15日)
発熱する東北(5月16日)
ブータンにいます(5月17日)
国民総幸福量の国(5月18日)
「別の概念」(5月19日)
震災からの日本に、
いろいろたくさん
学びたいんだ(5月20日)
「共に歩んで行こう」(5月23日)
「上機嫌な旅人」(5月25日)
からだになじまないままの数字
(5月28日)
「上機嫌な旅人」(5月25日)
自衛隊の人たちへの
「ありがとう」のことば(5月29日)
どんな時もラブソングは流れる(5月31日)
6月
「どうしていいかわからない」時期を過ごす (6月5日)
そこに人間が働いている(6月8日)
魔法の方程式はない(6月9日)
「寛容の世界」への道のり(6月12日)
長いつきあいになる(6月14日)
いつもの130%働く(6月15日)
そろそろ恋バナとかしたいな(6月16日)
なんでもしてやろうというじぶん
(6月22日)
やや時間も経って。(6月23日)
やりながら考える(6月25日)
光のある方向に顔を向けて(6月29日)
「見えないもの」の強さと恐ろしさ
(6月30日)
2011年7月
こころの入力にも時間がかかる(7月5日)
お金があれば解決に近づける問題と、
そうじゃない問題と(7月6日)
ヤマトホールディングス社長の
木川眞さんにお会いしました(7月8日)
「相互勉強」の交流をやっていけるように
(7月11日)
「当然のように大いにちがう」(7月14日)
考えや思いは口に出すこと、
聞いてもらうことで変化する(7月16日)
まだまだ、できることを探していきます。
(7月20日)
「ほぼ日手帳」、今年も発売間近です。
(7月21日)
息は大事(7月26日)
「絶望の反対語は、希望じゃなくてユーモア」
(7月28日)
問題を考えるときの重要なヒント(7月31日)
2011年8月
水に囲まれた島国(8月2日)
どんな応援をするにも、 元気がないとね。(8月3日)
「忘れちゃいけない」ところは「忘れない」よ(8月12日)
新しい経験、感想、出合い、計画(8月16日)
「公平・不公平」と 「なんとかする」ことについて(8月21日)
『スコップ団』は、どうでしょうか。(8月23日)
『安心社会から信頼社会へ』(8月24日)
「おれたちは、これをやる」(8月31日)
2011年9月
「木を植える」というのは
どうだろう。(9月2日)
じぶんのために記すことば(9月6日)
日本文化の研究者、
ドナルド・キーンさん(9月8日)
日々「ちょっと」が加算されている(9月11日)
満月と、『金のさんま』のこと(9月13日)
「ほぼ日気仙沼支社」を立ち上げます。
(9月23日)
「急いでやることと、
じっくりゆっくりやることがある」(9月25日)
ひとつずつ、少しずつ(9月26日)
2011年10月
「想像」することが、出発点(10月2日)
気仙沼の「すごい魅力」を改めて(10月3日)
「沈黙のありがとう」の交換
(『スコップ団』のこと)。(10月4日)
「でも、いいこともいっぱいあるんだよ」(10月12日)
『八木澤商店』の醤油が
買えるようになっていました。(10月13日)
和田誠さんの絵(10月25日)
『八木澤商店』八代目社長、
河野和義さん(10月27日)
「未完成のジグソーパズル」(10月29日)
2011年11月
「忘れない」こと、
「分け合おう」ということ(11月11日)
ヒントは近いところにあるとは限らない
(11月14日)
飽きずにたのしく、積み重ねていく。
(11月16日)
「津波てんでんこ」(11月20日)
気仙沼の人の口から出たことば(11月21日)
厳しい状況で微笑む人たち(11月22日)
もっと、言おうかな、
「Only is not Lonely」。(11月28日)
2011年12月
ステキな見栄っ張りたち(12月2日)
心の根っこ(12月5日)
生きるために信じ合っている。(12月9日)
気がねなくちゃんと休んでおく(12月20日)
原寸大の、『できることをしよう。』
(12月22日)
生者と死者が、つながっていて、
たがいを思いやる。(12月23日)
単行本『できることをしよう。』発売
(12月26日)
「人によろこばれる」(12月27日)
「場」というもの(12月30日)
2012年1月
安斉育郎『家族で語る 食卓の放射能汚染』
あとがき引用(1月3日)
「顧客の創造」「じぶんの強みを知る」
(1月4日)
「なんでもない」(1月11日)
『セキュリテ被災地応援ファンド』(1月17日)
「じぶんだったかもしれない」(1月18日)
強烈なまでの「活性」を感じます。(1月22日)
高さ12メートルの防波堤」(1月23日)
東北には、いま、
「いい背中」がいっぱいあります。(1月26日)
2012年2月
「トタン屋根の豪邸」と
「ミニスカ・サンタ」(2月6日)
「編みもの」を習いはじめました。(2月8日)
『気仙沼さんま寄席』チケット発売(2月17日)
「縁があったから」(2月18日)
おもしろいおじさん(2月24日)
実際に声として聞く(2月25日)
2012年3月
女性も、地方も、英語(外国)(3月3日)
福島を回りました(3月6日)
ちょっと
逃げたいくらいの気持ち(3月10日)
また3月11日がやってきて(3月11日)
気仙沼の人たちと
チームを組んで(3月15日)
『気仙沼さんま寄席』の日(3月25日)
なにか奇跡みたいなもの(3月26日)
実の主役は「気仙沼」(3月28日)
2012年4月
被災地から、生まれだす(4月5日)
海のほうを向いて生きてきた(4月16日)
休んだほうがいい(4月19日)
2012年5月
忘れるだの忘れないだのを
超えて(5月8日)
光の射す方向が、前だぜ(5月9日)
「復超」くらいの
気持ちが必要(5月11日)
2012年9月
「放射能」についての考え・リンク集
(9月27日)
2012年10月
「それらしい単語」(10月20日)
2012年12月
「速い」「遅い」(12月2日)
2013年1月
順番とか、関係とか、バランスとか(1月16日)